青焔会報 2010年3月号

 
   
八百長  
米山郁生
 
   

 3月13日初日の大相撲春場所は中止となり、夏場所5月8日からの開催も危うい。新弟子検査、3月5日の大阪は東京に変更となって実施される。3月の春場所は、卒業シーズンと重なって就職場所とも言われる。相撲取りになろうという人達は他の職業と違い、その時期になって進路を決めるのではなく、5年、10年も前、小学生頃から体格を整え、精神力を養ってその夢をふくらまし努力を重ねる。それを間際になって夢を壊してゆくことがどれ程酷な事なのか。相撲界は暴力事件、野球賭博事件と何度も土俵際をうっちゃってきたが、絶体絶命の土俵際となった。

 小さい頃から相撲一本で進んできた人達は、純粋で染まりやすいのかも知れないが、そればかりではあるまい。先輩に対して総ての事に強く否定出来ない面もあろう。それよりももっと大きな問題。十両になると関取待遇、月給は103万円支給。だが幕下は場所手当がわずか10数万。結婚でもしていて十両からの転落寸前、7勝7敗の千秋楽となれば万事休す。生活の事、家族の事を考えれば、自分の星だけの問題ではないのだろう。やむにやまれず誘惑に乗ることになる。その体制自体にも問題はありはしないか。そんな事は承知事であるから精神を強く持ち、全勢力をつぎ込むべきだと …。

 小学生の頃、相撲が好きであった。その頃の関取は今以上に個性があり、娯楽が少なかったせいか、大衆の関心も強かった様に思う。吉葉山、千代の山、鐘里、栃錦、東富士、若天竜、今でもその容姿が思い浮かぶ。

 夏祭りには町内の広場に大人の人達が土を盛って土俵を造り、子供相撲大会が催された。そのメインイベントは5人抜き、町内の子供達は皆参加した。小学低学年、高学年に分けられ、中でも背が高く腕力のあるスポーツマンのK君が優勝候補として注目されていた。私は4年生、学年でも一番のチビ、スポーツはあまり得意ではなく、言わば泡沫選手。組み合わせが発表された。K君が当然勝ち進むとして、私が5人目の対戦、責任重大。私との勝負の結果、優勝させる事だけは避けたいと前の4人との取り組みを必死で観察していた記憶がある。上背があるので腰が高い、自身があり腕力で勝負するので動きが鋭敏でない。立ち会い前進する一歩目は右足から出る。身体の左側を軸として右側をかぶせてゆくクセがある。案の定難なく4人を負かした。5人目は一番チビで弱々しい相手、もう勝ったものと思っている様子が誰の目にも明らか。 “よし、組んだら負ける、時間をかけない。下半身が弱い ”軍配が上がった瞬間一気に突っ込み、相手の浮いた右足を両手で抱え込んだ。ものの2、3秒、不意を喰らってドスンと尻もちをついて目を白黒。番狂わせ。2順目も5人目が私。小さい事を武器にし、動き回りながら右足を持ち上げ勝利。残念ながら3順目は取り組みが変わりK君は優勝の楯を!

 相撲は全身でぶつかり合うから面白い。まさしく裸一貫。自分の身体以外は何も無い。力をつけ、技を磨き、精神を養い、気を充実させる。

 芸術も同じだ。様々な分野の芸があるが各々の歴史に立ち向かい、自と自らの精神に向かって作品を創り上げてゆく。プロでもアマチュアでも同じ事で、知識と技が多いか少ないかで変わるだけだ。時にはアマチュアの描きたいという気持ちがプロ以上に精神を高揚させ力作を描く事もある。描きたくないのに描いたり、適当に描き進めたり、いい加減な仕上げをすれば無気力相撲と同じで、プロがそうした作品を売ってしまったらそれは八百長なのだ。誰しも自分の力量はおよそ判っているが、その力量を出さずに仕上げれば、その足りない分だけ八百長をした事になる。相撲は人に対してするが、芸術は自分自身の精神に八百長をし、それを他人に渡す事によってその曖昧さは成立する。

 作品を描く。何本も何本も線を重ねる。筆やナイフを重ねる。その見えた筆触の何百という重ねの中で1本のいい加減な筆触もその絵の価値を殺す事もある。いい絵を描くという事はいかに真剣さを持続させるかという所にある。

 子供達の絵を見ると特にそれを実感する。子供達が絵を習いに来る当初、母親はいい絵を描いてもらいたいと横について一生懸命アドバイスする。子供はそれに応えようと一心に絵に気持ちを向けずに母親の言動に注意を向ける。絵は表面的には形を整えるが感情が伝わらない。感動が無い。上手に描けたね!で終わってしまう。子供達にいい絵を描いてもらうコツは、いかに夢中になって描く様気持ちを導くかにある。子供の感性は天才的なものがある。大人以上に創造力が豊かで、バランス感覚が良く、色彩に対して敏感だ。そうしたものを100%以上出してもらう為には、描きたいという気持ちを増殖させてゆくのが一番だ。年齢と共に知識が感性を押さえてゆく。規格にはめて物事を決めつけてゆくと創造力も乏しくなってゆくのだ。知・情・意。人間の持つ三つの心的要素、知性と感情と意志をいかにバランス良く発達させてゆくか、総ての鍵はそこにある。

 八百長問題が大きな社会問題となっている。企業のコストと品質の問題、労働と賃金、政治家の保身と国民に対する義務。芸術家の金と精神。商人の知恵と良心とお金のバランス。文明が進むとその武器、道具も多くなる。携帯電話の入試問題投稿事件もその一つ。八百長問題は相撲界に限らず、総ての人々に通じる。我と我が心の問題なのだ。

 
   
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