青焔会報 2011年1月号

 
   
あかとんぼ  
米山郁生
 
   

毎日新聞10月10日朝刊の1頁下段、余録欄に江戸時代の俳人宝井其角が “あかとんぼ/はねをとったら/とうがらし ”という句を詠んだ。これに師匠の松尾芭蕉が手を入れ “とうがらし/はねをつけたら/あかとんぼ ”と返したという。俳聖とあがめられる人物と焦門十哲の一人と言われた高弟のやりとりとはとても思えない。とぼけた言葉を交わしてふざけあっていただけだろう、国立民族学博物館名誉教授 山本紀夫さん編著 “トウガラシ讃歌(八坂書房) ”にある、…略。と掲載されていた。筆者もそれに対して反論していた訳ではないので同じ様に感じていたのだろう。

 東京都杉並区の小学校3年の算数の授業中、先生がクイズを出した。 “3人姉妹の長女が自殺した。長女の葬式に来たかっこいい男の人に次女はもう一度会いたいと思った。どうすればいいか ”児童が “電話をかける ”と答えたが先生は “男の人に会えたのは葬式だから妹を殺すのが正解 ”と話したという。報道されたのが10月24日朝刊。ところがインターネットの中で10月1日放送 やりすぎコージー ウソかホントか分からない闇のウワサに迫る「芸人都市伝説2」として “犯罪者だけが受けるテスト ”兇悪殺人犯のみ聞かれる質問があるという。あるところに父、母、息子の3人家族がいたが、お父さんが亡くなり、葬式の時に母は夫の同僚に恋をし、息子を殺そうと思った。そうすれば息子の葬式にまたその人に会えるからという問答が放送されているという。

 こんな話は活字にしたくないと思う程愚かな内容。全く同じ意の話であるからどちらかが影響されたのだろう。情報過多の時代、精神が退廃し、感覚がマヒしてくると、何を取り入れ何を排除すればいいのか判らなくなる。絵画でいえばデッサンがあいまいになってくるのであろう。いい加減な形で良しとしたり、バランスが崩れていても判らなくなる。人間の感覚はマヒし崩れやすくなるとすれば、常にそれを補う方策が必要なのだ。芸術はその為に必要であるのだが、眼先の結果を重視する風潮のある今、隅に追いやられている。

 10月19日に愛知県立東海商業高校で実名を挙げられた教員7人の中から校長暗殺犯は誰かという問題が出された。5月、岡崎の市立小学校で3年生の先生が算数の授業で、子供が18人います。1日に3人ずつ殺すと何日で全員を殺せるでしょう。という問題を出した。

 あちこちの教育現場でそうした問題が出てくる。これは氷山の一角でもあろう。ほんの一部の先生の思慮の足りなさや暴走が教師全体のイメージダウンにつながる。真面目な尊敬すべき先生方も多い中、情報が情報を呼び、瞬時の内に社会の中に広まり、教員全体の実像をゆがめる。

 芭蕉の弟子があかとんぼの羽根を取ってとうがらしを歌った。芭蕉が返句をしたのは、生きものを羽根を取って殺す様な残酷な事をする句を創っても美しくない、たとえとうがらしでユーモアを加えようとしても、人がこの句を読んでいい気分にはなるまい、それよりも句をひっくり返しとうがらしに命を与え、それが大空に舞ってゆくイメージを創ればさわやかで清々しい、爽快な気持ちになる。ただ句を創ればいいのではなく、それを聞いた人の心が和む様な句でなければならないと教えたのだと思う。

 教師とは子供を育てるのが目的でありたい。各々の教科が出来れば良い。点数が良ければ良いのではなく、感受性豊かで思いやりがあり、思慮深い人間を育てる事が出来ればおのずと学問も深まり人間も成長する。

 人の感情のもつれは言葉に生きて一人歩きする。不用意に発した言葉が人を傷つける。事の真相を確かめず誤解が誤解を生み、様々なバランスを崩し、感情や思い込みで発した言葉が伝言ゲームの様にふくらみ、変質して心を蝕む。言葉は美しく使いたい。絵画でいえば、色は美しく重ねたい。その場に合わない色を塗ってはバランスを崩し不快感を持つ。汚れた、濁った色(言葉)を使えば画面は退廃的になる。濁った色の作品や自己主張が強すぎる作品は人を遠ざける。自己の発した色や言葉が澄んでいるか、濁っていないか、常に心して自省したい。

 日本の子供達の学力が衰えている事が言われて久しい。ゆとり教育による弊害が表れたのだろう。子供を育てるべき時にしっかりと育てなければ、後から取り返しの効かない事も多い。鉄は熱いうちに打て。体内にいる時、0才から3才、3才から8才、8才から15才、その時々の教育のあり方がその人間の殆ど総てを創りあげるのだと思う。それは年齢によって決まっているのではなく、その子の性格、成長過程によって総て異なるのだ。各地で講演をする。幼稚園、小中学校、教育機関。母親が子供に厳しい家庭が多い。厳し過ぎれば子供は委縮する。それでは教育としての意味が無い。

 芸術は止揚である。子供達の絵を描く成長段階の中で様々なアドバイスをする。素晴らしい人間を育てるには、一人一人のその時々の状況と感情と思考を適確に考慮しなければなるまい。

 
   
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