青焔会報 2010年7月号

 
   
デッサン  
米山郁生
 
   

 “お母さんを殺したい! ”

 小学校三年生の女の子の突然の言葉に驚いた。半年程前に入会。初日、本人が礼儀正しく挨拶をし、デッサンをしたいと申し出た。小学校二年の秋、この年齢で何故?と思ったが、先ずは本人の要望は大切にと受け入れる。何かある!と感じたが一か月程様子を見る事にした。机に向かって、正座をしている時の様に姿勢を正し対照の物を正確に捉えて向き合う。2時間近く身じろぎ一つせず、時折り周囲の様子を見るが眼を動かすだけで顔を横に向ける事は無い。喜怒哀楽の感情も見せず常に冷静に振る舞い、描き終えると丁寧に挨拶をして帰る。

 不思議なその “小ちゃな大人 ”に一と月程経って問いかけた。 “どうしてデッサンがしたいの? ” “お母さんに負けたくないから ” “お母さん絵を描いているの? ” “ハイ ”

マグカップとワイングラス、その中にビー玉が4つ。F6のスケッチブックの画面中央にきちんと並べた二つの器はまるで作者が姿勢を正して描いている状況そのもの。テーブルの線が画面のほぼ中央に左右に一直線に引かれ、自己と母親との対峙。一歩も譲らず、精神的に対抗している様子が窺える。描線は冷静で感情が無い。最後に型取った線があどけなく形から浮き出る。母親に負けたくないという思いが線の描き方の中に表われる。特に子供の作品はどの様に正確にデッサンをしたとしても温かい子供の体温がその作品から感じられるのだが……。

 入会は二年生の十月。三年生の五月連休後のある日 “小ちゃな大人 ”は自宅で突然感情が暴発した様に泣き叫ぶ。 “時々自分を傷つけたくなる、ママを殺したくなるの ”と母親に訴えた。驚いた母親が翌日研究所へ相談。こうした事が起こる事は予測していたが、事の重大さに片手間な相談にならない様、即日、日を改めて話し合う事にした。憔悴しきった母親に意外に冷静な子供、単刀直入に子供に尋ねた。 “お母さん殺したくなるの? ” “ハイ ” “どういう時に? ” “時々、なんとなく ” “どうして殺さなかったの? ” “困るから ” “どうして困るの? ” “色々してもらわないと自分では出来ないから ” “そうか、お母さんが居ないと色々困るんだ ”コックリとうなずく。母親に質問を向けた。 “子供さんと遊んでいますか ” “はい… 遊んでいます。子供も楽しくしているし十分コミュニケーションもとっていると思います ” “お子さんが遊びたい時、問いかけられた時にすぐ対応していますか「今はダメ」「後から」「また今度」ではないですか ”母親の言葉がつまった、答えられない。母親は三人兄弟、自分も母親には遊んでもらっていないと言う。兄弟の居る人は兄弟の中で様々な社会を学んでゆく。一人っ子の場合は心寂しい。母親との関係が大切であり、父親との関係とは異にする。そして入会した当初から気になっている事を尋ねた。彼女がお腹に居る時やさしくしてあげましたか? 少し驚いた様に母親が答えた “お腹の中で動くと「生まれてきて泣いたら口の中に靴下突っ込むよ」「うるさいとベランダに干しちゃうよ」” 洗濯物を扱っている時の情景であろう。御主人と二人で冗談を言って大笑いをしていたと言う。 “子供さんはお腹の中でおかあさんの言動を総て察知している。考えている事迄通じてしまう。本人は生まれて来る事に抵抗したのではないですか ” “出産予定日になっても生まれて来ず、何日か遅れて帝王切開をしました。

 子供は生まれて来てから育てればいいのではない。その子の人生の総てが両親の心配りにかかっている。特に母親はその子の人生の縮図を体内の十か月で創り上げているのかも知れない。

 とに角 “お母さんを殺したい ”という感情を無くさねばなるまい。子供に問いかける。 “お母さんと遊びたい? ” “お母さん忙しいから ” “そうか寂しかったんだね ” 母親は子供を親と子とではなく、一人の人格者として自分と対等の一人の人間として育てたと言う。最初のデッサンを見た時、子供としての甘えが無い、親への感情が冷たい、母親の懐の中でゆったりとして丸まっている温かさが無いと感じた。母、子のお互いに求める感性が交錯する。 “よし、じゃもう一ぺん赤ちゃんになれ! 赤ちゃんになってお母さんに甘えて遊んでもらおう ” “小ちゃな大人 ”はうれしそうに頷いてチラッと母の顔を見た。お母さんも納得した。今迄完璧だと思っていた子育てが子供の一言で “青天の霹靂 ” “自信喪失 ”総てを一からやり直す覚悟を持った。

 母子の奮闘が始まった。子供は遠慮せずに母親に甘え、母親は何をしている時も子供第一、子の求める総ての事に心を尽くした。堰を切ったように子供が要求する。母親の心を確かめる様に無理難題を求める。研究所へ来た母親が訴える、もう大変、次から次へ求めて来るんです。死んじゃいそう。 “今まで7年も8年も我慢してきたんだから仕方ないね。殺されるよりいいじゃないですか ”と際疾い言葉まで発して力付けた。 “今が頑張り時、本人が満足する迄もう少し頑張れ ” “普通7年かかったものは直すには倍の14年は掛かると思ってしっかり ” 私は言葉で言うだけで済むのだが、母親の顔は本当にクタクタ、力尽きた感じ。だが、母親としての愛情の強さが子供に伝わったのか、次第に“小ちゃな大人 ”は小ちゃな子供になっていった。何か月か経った時声をかける。 “お母さん、死んじゃいそうだから少しやさしくしたろか! ” “ウン ”いたずらっぽい顔をして頷いた。

 絵が次第に変化に富み、デッサンも生き生きとしてきた。受験の為に休会、このテーマで会報に掲載する事を母親もすすんで了解していた。自分と同じ様な誤ちを他の人には味わってほしくない…と。描き終えたスケッチブックを持参して頂く。仕上がった23枚の絵の中にデッサンが13枚。入会当初はお母さんに見せつける様な描き方が次第に自然体となり、最後の方では対照物に迫り精神的な安定感と物への集中力が豊かになっていた。入会3か月程で描いた旅客機の絵が2枚、女の子の飛行機の絵は珍しい。母親の懐から飛び立ちたいのか、1枚目には飛行機の周りに6つの雲がグルリと取り囲む。それを振り払う様に飛び立つ、車輪は出たまま。母親から飛び出したいのと留まっていたいとの葛藤があったのだろう。

 “将来はお医者さんになりたい! ” 母を慕う子と子を慈しむ母の姿がそこにあった。研究所の窓には風雨の後のオーロラブルーの空が爽やかに広がっていた。

 
   
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