青焔会報 2010年3月号

 
   
画境  
米山郁生
 
   

 3月13日、日頃の忙しさを象徴する日となった。

 事務的な作業に追われ就寝が朝5時半、机を前に腰かけに座ったままの状態でうたたねをしただけの事なのだが7時には起きる。午前中にしなければならない事を片付ける。日本福祉大学高浜校の卒業式が10時、余裕をみて8時半に名古屋高速へ。吹上から高辻は渋滞が多いから高辻から乗れば充分間に合うと算段。家へは7時半にと決め、10分程朝日のあたる椅子に座る。朝の柔らかな陽射しが気怠い身体を心地良く包み込む。時間だ!と思いつつ立ち上がらない。遅れる!と意識しながらそのまま又15分。せっかちな自分がなぜ行動しないのだろう?と思いつつ・・・

 車に乗り込みエンジンをかける。スイッチを入れたままのラジオが突然 “名古屋高速大高方面は高辻から約7`の渋滞 ”と。予定通り高辻から高速に乗れば渋滞に巻き込まれ確実に遅刻。14年間の最後の卒業式。遅刻を無意識の15分に助けられた。このラジオを聴く為の15分だったのか・・・ 卒業式を終えて30分後には閉校式。私の作詞した校歌も終章。高浜市と二人三脚、日本福祉大学との連携によって高浜市は福祉の町として日本中に名を広めた。その功績は大きい。行政と学校が一体となって地域の市民の為の施策を施す。これからの社会の在り方として一石を投じた形となった。市や様々な機関からの来賓の方々、卒業生の1期から12期まで多くの有志が集まり、盛大に閉校に花をそえた。閉校式一時間後にはレセプションを約2時間、30分休んで卒業生を送る会。この会は在校生が主催して行うのだが今年は閉校となるので在校生は居ない。アートセラピーを学んだ卒業生、クラブ “画境 ”の有志が主催して行った。この心遣いが素晴らしい。作業療法士として介護福祉士として人の苦しみや悲しみ、痛みを判る人間になって欲しいと願って育てた彼等が自ら進んで卒業生の為に力を尽くす。初代会長は静岡、二代目は三重、長野と様々な地域へ別れていった先輩達が心を一つにして事に当たる。今年に入ってから画境のメンバー達から “先生必ず出席して下さい ”と連絡がはいっていた。中心となったリーダー格、三代目の山田君が司会の中で語る “僕は一年生の始めての授業で米山先生に同級生のある女性と結婚すると言われてその通りになりました。他にもそういう人が居ます。中には交際していても、この人は合わないと言われた人はやっぱり駄目になっています。ところで初代会長の加崎さん ”画境 “という名称はどこから名付けられたのですか? ”画とはその人々のその時々の心境が表われるという事を先生から学んだ。その事を名称にしました。“卒業生を送る会の中で各先生方が卒業生一同から教育活動に尽力し、人材育成に貢献したとして表彰状を頂いた。そして私には特別に額を贈って頂いた。画面の中央には私の顔をコラージュした仏像が座し、12の光背には初年度から閉校までの各学年の会長を中心に画や写真に寄せ書きが記されている。感無量。

 卒業生を贈る会の後は各地から集まった “画境 ”のメンバーで今後の活動について話し合う。その中で中退した4代目の副部長に集まったメンバーが署名。手造り特別の卒業証書が贈られた。勿論当人は感激の男泣き。6時、移動して謝恩会が7時から10時。6つの行事を終えて研究所へは11時。やらねばならぬ仕事を始め午前4時。就寝はまた腰かけたまま。

以下、閉校14年の歩みの記録誌から、
開校以来14年間、作業療法学科の “芸術” 介護福祉学科の “芸術と表現”の一年生を担当させて頂いた。純粋で素朴、しかしどことなく内向きな彼等を見て、開校初年度の初めての授業で方針を決めた。クラスの中の仲間意識を持ってもらう。自ら選んだ学業と社会へ出てからの目的意識、それに伴う意欲を持たせる事。自分自身に自信を持ち、他人を思いやる心を持つ事。学校での連帯感を持たせる事。幸いにもそれらを実現する為には芸術の授業は効果的であると思った。芸は人なり。どの様に技術や技法、頭を使っても、心が込もっていなければ人を感動させる事は出来ない。一年生、第一回目の授業で全員に絵を描いて頂き、一人一人の性格、長所、短所、将来の事、一人一人が他の人と関わる事に関してのアドバイスを全員に14年間通して行った。人生相談、恋愛相談は日常的な事象となった。その殆どを絵を描く事を通しての相談、アートセラピーの勉強にもなった。人を育てる時、厳しさと緩やかさと道理を説く事に主眼を置いた。そして人情を加えた。授業だけでなくもっと!という声に開校時から絵画同好会“画境” を作る。学生が自分達の様々な問題点を絵を通して解決してゆく事が出来るかが主なテーマとなり、年毎のクラブ員が自主的に事を進めた。

 ある年、入学当初、介護学生4名が授業前に逃走した。クラス全員に捜して連れて来る様依頼。教室に戻った学生4人を立たせ、他の学生にも勉強になる様に皆の前で説教をした。4人は “目から鱗が落ちた” と他の先生方に語った。それ以来卒業迄、時折顔を見せ “僕の顔、いい顔になった?” ・・・と。目は輝いていた。気の弱く声の小さい学生には出席の点呼を依頼、遅刻の生徒は全員の前で理由を聞き、出欠の可否を全員に問いかけた。適格な答えが返って来る。クラスの連帯感はさわやかになる。

 作業療法士も介護福祉士も弱い人、困っている人を助ける事が目的となる。それは人間としての本能的行為であり、その事に対して何の報酬をも求め様とするものではない・・・。しかしより多くの人々を援助する事と己も生活をしていかねばならないという事が賃金を得る事を是とする。理想と現実の狭間の中でいかにして精神を浄化させるか。

 いつの世も人の欲が社会を腐敗させる。人の為に生きるという崇高な精神をいかに保つ事が出来るか、学生と共に己にも科した。社会の中の様々な場面で日福の卒業生に会う。私の理想としていた人間像を彼らの中に見て、14年の歳月の意義の深さに感じ入った。

 
   
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