青焔会報 2008年8月号

 
   
カッターナイフ  
米山郁生
 
   

 ある団体の社会奉仕について考える事になった。

 会員から集める金額が年間350万円程になる。そのお金を、申請されたいくつもの団体から選んで贈る。その申請理由は各々あるが、“他の団体から施設を寄附された。その施設に見合った設備を整えたい”“以前、寄附を頂いて行事を行った。その行事が楽しかったのでもう一度行いたい”“緊急の事態に備えて、その搬送用の車を備えたい”

 寄附を受ける方は簡単だが、寄附する方は難しい。その寄附が生きるのかどうか、だけではなく、その寄附によって、その団体の考え方が曖昧な方向に向かう事だってあり得る。

 毎年、青焔展にスリランカの養護施設の子供達の絵が送られて来る。オヴァ・ママの会が自立支援の為に援助しているのだが、その作品から子供達の心の内を読み取りアドバイスする。
内戦で父、母を目前で殺されたり、家族が分散し孤立したり、様々な悲惨な状況の中で施設に入所する。最初は自分のありのままの苦しみ、悲しみ、状況を暗い色彩、描線、ちぢこまった構成で悲想観を絵に表わす。
施設に入り次第に安堵の気持ちが色彩の明るさ、ゆったりした線に変わってゆく。それが当たり前になり、更にその状況に甘んじようと絵に媚びが出てくる。
明るい、きれいな色彩だが、絵から伝わってくる感動、生命力が無い。線が単一で、いかにも僕は幸せですよと絵が語りかけてくる。
その施設での生活が当たり前になる頃からその子供達の精神の怠慢が始まる。オヴァ・ママの会はそれに対し様々な方策を立てているのだが援助は難しい。

 子供を育てる。可愛い子はどこまでも可愛がってやりたい。しかしそれは親自身の可愛いという気持ちの満足感であって子供にとっては逆効果となる事もある。
親が何もかも手伝う。手伝うばかりか子供のするべく事を親が先取りしてやってしまう。子供は楽で心地良い。可愛い可愛いと言ってくれる大人達に対しニコッニコッと笑っていれば事はスムーズに進んでゆく。
言う事を聞かない親?には駄々をこねる、すねる、ぐずる、叫ぶ、泣く、奥の手はいくらでもある。親は根負けしたり、周囲に気兼ねをして子供の思い通りになる。
これを続ければ我慢をしたり物事の本質を考えて自制したり、自己の思いを叶える為に努力をする人間としての成長は出来まい。一つ間違えれば、学校や社会で自分の思う通りにならないとキレたり、暴走、反社会的な事件を起こす事になりかねない。
“誰でも良いから殺したかった”という事件も、新聞やテレビから伝わってくる。識者の一様に“その原因は何故かという部分は明らかにならない”事はその事件の内容、その時の状況、その関連だけを見ているから判らないのではないか。
本質的には事件を起こした要因を探る、その精神構造の在り方、その子供の母親のお腹の中からの母親の感情の持ち方、生い立ち、母親との関わり方、愛情のかけ方、育て方、兄弟姉妹との心の在り方、家族の中での成長過程、父親に対しての様々な感情の表わし方、学校での成績と本人のその受け取り方、友人関係、社会へ出る時の心の在り方、社会に出てからその人間関係、職場での責任所在の中の立ち位置、それらを総て問いかけてゆけば必ず原因をつかむ事は出来る。明確な原因がなくともその要因は出てくる。いくつもの事件を照合してゆけば共通点は必ずあるのだ。

 援助の話しが子育てについて語る事になった。

 援助とは社会の中の子育てなのだろう。その団体一つ一つにとって何が必要なのか、お金を分配する事だけが援助ではない。時には力づけ、アドバイスし、方向づけ、それだけでその何倍もの効果が出る事もあり、又、お金を渡す事によってその団体の活性化を妨げる事もあり得る。
母親が何人かの子育てをする中で、可愛いから、可愛想だからとか、声を大にして主張するから、うるさいから、よく言う事を聞くから等という親の感情、感覚に左右されるのではなく、人としての筋道を通しているかどうか、皆に公平に愛情を与えているかどうか、それが親からの視点だけでなく子供も納得しているか、その愛情のかけ方が子供の為になっているか、そして将来その事がプラスになるかどうか、それらを考慮すれば物事は正確に把握出来るであろう。そしてそれらは考えを押し付けるのではなく、当人達が自ら納得して答えを出す様導いてゆく事が望ましい。

 小牧教室に母と息子Y君が習いに来ていた。時折り母親から子育てについて相談を受けていたが、Y君が高3の時新栄教室へY君と御両親が訪ねてみえた。
“相談がある。Y君が明日からカッターナイフを持って学校に行く”と言う。“なぜ”クラスの女の子が男子5、6人からいじめを受けていた、それを助ける為に自分が彼氏だと名乗った。いじめは自分に向かったがそれが2年以上も続く。もう我慢が出来ない。仕返しをするという。“先生には相談したのか”“相談しても埒が明かない”いじめに対し総ゆる方法を講じたが限界だという。
繊細でやさしいが正義感の強い子。ふと九州佐世保の小学6年生のカッター事件が頭をよぎる。“そうか我慢も限界か。じゃあ仕方無いな。明日からカッターナイフを持って行けよ”
小牧から両親と揃って相談に来る。これまで散々言い争いをしてきた末の事だろう。本人も本当にそうするのであれば黙って実行したに違いない。どこかで自分にブレーキをかけてもらいたいのだ。私の予期せぬ返事に3人共が“えっ 何を言うのか”という顔をして一瞬私を見た。
少しの沈黙を待ってY君に“貴方はその男の子達を好きなんだ”と言った。すかさず“嫌いです。顔も見たくない。大嫌いです”“いや嫌いじゃないと思うな。明日からカッターナイフを持ってゆく、仕返しをする、命にかかわる様な事になるかも知れない。すると貴方はその何人かの為に毎日毎日汗水垂らして働き、保証してゆかなければならない。それが一生続くかも知れない。嫌いな人の為にそんな努力は私には出来ないな!”と説いた。

 しばらく無言。学校に何度も相談、頼りにならない。“そんな学校辞めちゃえ”母親が涙声で“学校やめるなんて、それはしたくない”と言う。
母親に向かって “じゃあカッターナイフ持って行かせますか”首を横に振る。Y君が“学校辞めます”とキッパリと返事をする。“うん、担任ときちんと話しをし、主任、校長ともはっきり話しをして自分が納得のいく辞め方をしろよ”と言った。
そして“一つだけ私と約束をしてもらう。今学校を辞める。辞めたままブラブラしていては自分が彼らに負けて逃げ出した事になる。それだけは絶対にするな。今学校に居る事よりももっと大きな人間になる為に何をするか、人の為、社会の為になる為にどういう人間になるかを彼等が卒業する迄に考えて実行する様に明日から頑張れ”御両親にも納得して頂いて帰った。帰り際、約束だぞと握手をした。口を真一文字にむすんでしっかりうなずいた彼は力の限り私の手を握り返してきた。

 今年の正月過ぎ、彼が突然訪ねてきた。先生、進路決めました。大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学に行きます。世界の81カ国から2600人、日本人が3000人位の学校で、発展途上国の様々な問題点を探り、言語や文化を学び、実際に体験交流して、卒業してからその国の人々の為に現地で活動する道を選びました。
以前の彼とは全く違い、背をまっすぐ伸ばし、言葉に力がこもり瞳はキラキラと輝いていた。一瞬彼が汗まみれになって現地の人達と大空を見上げている姿が浮かんだ。

 彼に“この話しはいつか会報に書くからね”“うん、書いて下さい。僕も手紙書きます ”・・・・・。

 
   
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