青焔会報 2007年9月号

 
   
性格  
米山郁生
 
   

 眼に見えるものから、見えない部分をいかに見る事が出来るのか。判ってから考え、判ってから対処していてはあまりにも遅く犠牲を伴う事も多い。小学校や幼稚園で母親を対照に、又保育士や教師を対照に講演会を行う。子供達の絵を見せて頂く。親にも15分程で描いて頂くのだが、母親がきちんと整って丁寧、堅い絵を描く場合、その長兄、長女はやはり緊張感のある少し縮こまった行儀の良い絵を描く事が多い。人物の場合は直立不動、同じポーズが横に並ぶ。次男、次女は少しリラックスしているが、周囲の様子をうかがう様な作品。形は大きくなるが、線が少し神経質になる。三番目の子はリラックス、自由奔放、色彩も明るく伸び伸びとした画面を作る。

母親は各々の子供達の性格の違いを主張するのだが、私はそうは思わない。各々の子供達の個性はあるが、母親の躾の仕方が子供達の性格を作ってゆく部分が多い。

母親は長男、長女は始めての子育て、真剣に慎重に、そして力が入ってしまう。叱らなくても良い所で叱り、注意しなくても良い所で注意するその緊張感が子供に伝わる。子供も母親に一生懸命応えようとするから自由さが無くなる。次男、次女は兄、姉と母親との関係を直感的に感じ、又、よく見聞きしてどの場面でどう対処すれば良いのかを自然に学んでゆく。結果要領の良い、周囲の状況に敏感な子が育つ。三番目の子にはお母さんも少し疲れた?子育てにも自信が出来、適度に自然体、ゆったりした気分で育てるから子供もそれに応じて自然児となる。但しその甘やかしに少し問題が残る事もある。中には母親のエネルギーが無限、3人でも5人でもきっちり厳しいお母さんもみえる。反対に子供のエネルギーの強さから母親との立場が逆転、母親を育てている様な子供も時には見受けられる。

 子供は親からの遺伝子の関係からその生き様の可能性を持ち、その子供の持ったエネルギー、生命力で親との関係が創られ、母親の育て方によって性格が創られると思う。その後に育った環境、これは育て方と表裏一体、更に友人関係、学校、職場、と多くの要因が重なってくる。

ここで問題なのは、この子供達の将来をどう見てゆくかである。将来の事など見えない、見えないから判らないのではなく、判らないから見える様にするのである。その為にはどういう育て方をするかだ。叱る時にしっかり叱る、誉める時にしっかり誉める、それも親の気分でそうするのではなく、子供がそう感じた時に親が適確に対応しているか。親がしっかりと子供を育てる、このしっかりを間違えると行き先は危うい。母親にとってしっかりレールの上を真面目に歩んでいる子はいい子である。と。しかしその子は親の生き写しの人生を歩み、自己の可能性や、より良い方向に向う努力をしなくなる。時代が変わり、新しい環境で生きようとした時、親のレールは適用しなくなり、親のアドバイスが無くなった途端に立往生する事になる。

問題は子供が自分で考える力をつける、自分のレールを自分で造り、そのレールを確かなものにし、他の人にも使ってもらえる様な生き方をする事である。その為には失敗をさせる。幾度も幾度も失敗をし、それを自分で立ち直らせる努力と思考力、忍耐力をつける事である。自己と他者との関係を考え、時には控える勇気を持ち、時に主張する正義感を持つ。絵で言えば、子供が何度も何度も描き直し、時間をかけても最後完成する迄あきらめない精神力を造る事が最も大切な事。そこに神髄がある。親が口を出し、親の言う通り、見た目に素晴らしい絵を描いたとしても子供自身、自分の絵とは思っていまい。

 ある大学で講義を依頼された。8回程の集中講義、毎年始めての授業では全員に絵を描いて頂き、その絵から個性、内面、心の在り方を説き、今後の生き方、人との接し方等アドバイスする。ある生徒に“あなたは過去にいやな事がありましたね”と言ったところ突然泣き出した。そのまま3時間黙って座っている。

翌日、両親が学校に抗議。“人権蹂躙だ”翌週学校から、絵の心理的なアドバイスではなくて楽しく描くだけの授業にして欲しいと伝えられた。そのまま生徒に伝える。その後、生徒や父兄から学校に抗議。“この先生のその講義を楽しみにしていた、続けて欲しい”“そうした内容が無ければ授業の意味が無い”と。作業療法を学ぶ彼等は、絵からその心理を解き療法に役立てようと考えるのは当然。生徒達に“私は学校に依頼されて授業を担当している。学校の方針を無視して勝手に授業をする訳にはいかない。もしそうした授業を受けたいなら講義終了後に、外で場所を設けその講義をしよう”約束通り生徒達が会場を設定し、クラスの大多数が集まった。これ迄、日本福祉大学、名古屋大学付属医療技術短大(今は大学に)、佛教大学等で十数年、二千人近くの生徒に同様の講義、又母親達の講演を含むと何万人かになるが、そうした事は始めて。その学校はその年で辞した。

周囲が過剰に反応する。本当に大切なのはその生徒の問題点を解決してやる事ではないのか。周囲が自己の立場だけを守る事に終始している。その曖昧さ、大人や親が事の良し悪しを明確に示す事が出来れば、子供達はどこまでも真直ぐに伸びてゆくのだ。

 
   
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