青焔会報 2006年10月号

 
   
放電  
米山郁生
 
   

 小学生の頃、親父の本棚をのぞくのが楽しみだった。勝手に見る事は許されなかったので、内緒でそっとガラス戸を開けていた。未知の世界、大人の世界に入ってゆける様でワクワクした。俳人であった父の書棚には俳句関係、美術、特に水墨、歴史、文化等の専門書が多かった。

 その中に一冊だけ雰囲気の違った本があった。赤茶けたぶ厚い本。書棚の中段右隅に、ガラス戸を開けるとすぐ取り出せる位置に入っていた。開くと難しい文字が並んでいた。四年生の頃、意を決しておふくろに聞いた。“これ何の本?”“これはあなたの為にお父さんが捜してきたのですよ”―赤面恐怖症の治療と研究― 最後の“研究”について記憶は定かではないが、私の為にと言ったおふくろの言葉が気になった。赤面恐怖症。恐怖心を持つと顔が赤くなるのだろうかと子供心に考えたがなぜか納得していた。

 今もそうであるが、その頃人と話しをする事が苦手であった。相手が何を考えているのか、自分の言動が相手にどう伝わるのか、その時相手の気分を害してしまわないか、あれこれ考え胸がドキドキして顔が赤らんだ。又、一生懸命話そうとすればする程口ごもり、どもった。母親は私には常にゆっくりと、わたしがイライラする程の間合いを置いて話しかけてくる。知らぬ間にそれらは直っていた。他にも神経質になる事は数々。どこをさわっても手を洗い、行く先々迄の歩数を数え、電柱の数を数え、人の往来の間合いを数え、どこに出かけても自分の出したゴミは総て持ち帰り、ズボンのベルトが5ミリずれても気になった。机の上は本、ノートの位置、鉛筆、消しゴム、定規、総てのバランスが良く置けなければ何度も置き換え、あげくの果ては人の作った数字では駄目だと自分で数字を作っていたり、あきらかに自閉傾向であった。

 知立教室。Uちゃんのお母さんが会報を見ている。のぞき込んだUちゃん“違っとる。4月25日は水曜日”と言う。驚いて会報を見る。グループ青?展の日程は4月25日から30日、借用期間の周期は火曜日から日曜日なのでそのまま曜日を入れた。調べてみるとその期間は変則、水曜日から月曜日だ。会報を見た瞬間に日付と曜日の誤りを指摘する。“なぜ”お母さんが答える“過去も未来も10年間位は当てるんですよ”“えっ どうして。じゃあ2010年の4月25日は?”二、三回顔を上下に頷く、その間僅か2,3秒“日曜日”合っているか調べる手段が無い。“そう、日曜日。よく判るんだね”と答えるしかない。半信半疑、研究所に戻って早速調べる“日曜日”…………

 Uちゃん、自閉症高機能。小学校6年、いつも美しい色で虹を描く、輪郭から色塗り迄5分位の早さ、脳の中では様々な情景、数字、願いが猛スピードでかけめぐっているのだろうか。時には全国各地の住所、氏名を書く、何十、何百と続く。全く知らない土地、住所、知らない人だがなぜか関西が多く本当に存在する住所もある。もしかしたら日と曜日を正しく把握している様に全て正確なのかも知れない。11月始めて友達と手をつないだ絵を描いた。週の始めは遊ぶ約束をした、木曜日駄目になる。金曜日その無念さを絵の中で語る。

 ユウ君、年少の秋、パニックがひどい。絵画教室に入会、画面の中にグルグルと納得する迄鉛筆を走らせる。続いてクレパスを端から順番に塗ってゆく、更に絵具を。水をたっぷりと含んだ色は画面の上で重ねられ紙が破れる。アクリルの下敷を使い次の紙を防御する。日と共に水が少なくなり油彩の様に色を重ねる。画面が分割されてゆく、描いている最中も手を動かしながら眼が私を追う。何かを訴えている様に、澄んだ深いまなざしが私の心を捉える。この9月中旬、描き始めて4年、始めて画面中央にアンパンマンが現れる。母親の目に光る感動。翌週バイキンマン、バタコさんと形態が次第にしっかりと描かれる。なぜこの色を?と問いかける、図柄も彼の記憶の中のモデルには明解にその色が。グルグルを休まずに4年、耐えた底力がこれからのユウ君の成長に欠かせないものとなる。最近、抵抗したりけったりと自我が強くなってきたという。それでいいのだ。それが彼の生命力となってゆくのだ。

 緑ちゃん、中学1年、入会して2年半。激しくぶつける様な筆触で描いていたものが、6月頃から形が出てくる。リカちゃん、ねこバス、ノンタン、顔、お母さん、お城………… 1,2才の頃起きていたてんかんが11年振りに再発。レッスンの時、数々 “今日は描きたくない ”と室を出る。しかし必ず教室の中を見る事が出来る所に立っている。間をおいて近くに寄る “さあ 描こうか ” “うん ” 左前頭葉形成不全、ウェスト症候群。明解に自己の意志を表わす。知能や感性の発達が画面に形を表わし、その成長のエネルギーの余波が体外へ放出する為、放電、てんかんの発作になったのだろうか。人の体の微妙なバランスの不思議。

 将君7才、自閉症、中度。8月中旬10tトラックに轢かれる。右足骨折、頭、右足甲を複雑に裂傷、3週間後教室へ。動物を描こうとし大泣きをして消す。時間を経てトラック等車を何台も描く、黄、緑、白、赤、黒はっきり塗りわける。トラックをビリジャンで塗り、トラックと共にその周辺を何度も塗りつぶす。パトカー、救急車は明解に残す、事故当時の情景。はねられ道路に放り出された視点で迫り来る車を立体的に捉え、脳に写しその瞬間をフラッシュバックさせるのであろう。身体の傷は時と共に消し去る事が出来ても、心の傷はより多くの刻を必要とする。

 絵は心を語る。一人一人の作品がその人の人生と深く関わっているのだ。技術で描く絵はその頂点に達した一人の作品で事足りる。自分にしか無いドラマを、感情を、感性を描く事により世界に二つと無い作品を生む事が出来る。子供も大人もその価値に変りは無い。特に障害を持った子供達の感性は、生きる事に純粋で鮮烈なエネルギーを放つ。

 
   
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