青焔会報 2006年9月号

 
   
千手観音  
米山郁生
 
   

 “おい米さん帰るぞ!”“えっまだ30分もあるじゃないか”“いやここはこれでいいんだよ”周りを見回すと皆も帰り支度を整えて立っている。私は不機嫌に幹事のAさんを見て“なぜ”と言った。彼が渋々口を割った。“実はこの近くの駅でN子さんが京都から来て待っているんだ。電車が着いてから15分も経っているんだ”“N子さんが来ているんだったらここに来ればいいじゃないか”“いやN子さんはここには来たくないんだ。C子さんとは馬が合わないんで”

 事の全体像をつかんで私は腹を立てた。小学校の同窓会を開いた。昔から優秀であった弁護士のA君が幹事をやり、料理屋を営んでいるC子さんの店を会場に選んだ。真面目なC子さんは小学校の頃からA君を好いていた。美人で頭のいいN子さんは京都の財閥の家に嫁いでいった。気転が効き要領も良かったが少しばかり鈍くさいC子さんを心良く思っていなかった。A君は“さあ行こう”と言って私の前の酒盃をスッと取り飲み干した。いかにも“これで終わりだ”と言わぬばかりに………。

 “手洗い ”一言残して私は席を立った。部屋を出て手洗い場を捜した。どこにも表示が無い。あちらこちらを捜したが見当たらない。C子さんは料理人と一度は結婚したがうまくいかず別れた。父親を早く亡くし、母親を助けて頑張っていた。あまり経営が上手くいっていないと聞いていたが人手も足りなく掃除は隅々迄行き届いていない。手洗いらしき扉を四つ程開けた後、少し固い扉を力を入れて引くと、ブワッとホコリがかかってきた。よく見ると長い間閉じられていたのであろうその小さな空間の中央に白くススけた仏壇があった。自然にその前に座り長い間手を合わせていた。祈りの中で、これ迄の様々な人々の心の動きが走馬灯の様に脳裡をかけた。

 宴席に戻った。何人かが会場で立ったまま私の帰りを待っていた。席にどっかりと座り、空になった盃に酒を注いだ。気に入らん。予定の時間を切り上げて宴を閉じる事はけしからん。C子さんや家族の方に失礼だ。N子も来たけりゃ我慢して会場に来るべきだ。A君も物事を公平に見ていない。リーダーシップを取る者が公平に判断して結論を出せば誰もが納得をする。皆もそんな事が判らん筈があるまい。誰も反対する者が居ないのか。眼の前のタイのカブト煮をつついた。骨が口の中で動めく、一本一本丁寧に口から取り出し、 “ゆっくり閉会時間が過ぎても食べていよう ”と考えていた。大きな骨が口の中で刺さった。 “痛い ”と思った瞬間眼が覚めた。ボンヤリと天井の光景が意識の中に広がった。 “あゝここは研究所か ” “そうか、夢か! ” あまりにも明解な事象にしばらく夢が現実の様に思えた。現実の方が空虚で夢が現実の感覚を持つ。

 二週間後に迫った日本表現派展の出品作の構想を練っている間に眠りについた。タテ2・2米、ヨコ3・2米。大きな画面に千手観音を描く事だけが決まっていた。なぜ描くのか、何と組み合わせるのか、何も決めないままに中央に千手観音を描いた。腕の組み合わせは昔描いたスケッチを参考にし、形は自分の腕、手を見た。他に何を描くのか。現代と過去、未来の刻の連なりを遠近感を出す事によって表そうとイメージした。フッと湧いた構想、そして眠りが襲った。

 日本表現派出品作は2001年第45回展以降シュールリアリズム的な思考の中で構想を練った。自己の意識の上で物事を構築してゆくのではなく、無意識の中で表れてくる事象を形象化してゆく、夢の世界、無意識で描く自動記述等の意識下の世界がより現実的であるという考え方だ。

 生前、不思議な言動の多くあったおふくろが亡くなる前、兄弟に言った。 “死後の世界は絶対にあると思う。私が死んだらその世界があるという事を何らかの方法で教えてあげる “ 五人兄弟。好奇心の強い私と弟、妹が “教えて欲しい ”と頼んだ。おふくろの死後、不思議な事が度々起きた。それはいつかこのコラムに書きたいと思う。

 思いも寄らぬ2001年米国同時テロ事件。7月にそのイメージが。8月にアメリカのマンハッタンで戦争をイメージした事件が起きると感じ出品作を制作、題名は8月下旬に印刷所へ。画面にバーナーで2つの穴をあけた作品 “A街区8月15日 ”の完成は9月11日。意識下の世界が現実とつながる。これは一体どういう事なのだろう。その問いかけが私の制作の根源にある。

 翌年、更に翌々年。今年の作品は千手観音に時間的な思考を加えた。そして冷たく燃える日輪を配した。赤く燃えているのではなく、アルミ板を焼いて炎の形象を作り日輪に重ねた。色が強い。押えようと様々な薬品を試みた。色を重ねた、墨を乗せた、何物も削れて地が輝いた。美しい輝きではなく、なぜか不気味さを感じ漂わせた。無意識に描いたこれは一体何か、なぜ色が変らないのか。

 プルトニウム、原爆を感じさせるのであればこれは腑に落ちる。千手観音の頭上に爆撃機?ロケット?右下方の矩形を配した和紙はコンピューター制御装置か、その構成は、今まさにある危機、北朝鮮の核を想定していはしまいか。祈りがそれを昇華する。

 不可思議な現実の無意識の世界に更に踏み込んで、自己と人間と宇宙への問いかけを深めたい。

 
   
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