青焔会報 2006年2月号

 
   
オウン・ゴール  
米山郁生
 
   

 児童画の教室、子供の描いている側にお母さんが座り込む。子供の一挙手一投足に口を出す。そんな所に描いちゃダメ!、大き過ぎる、そうじゃないでしょ、こうでしょ、ここが間違ってる、こうしなきゃ……。

 お母さんの手にはケシゴムが握られ、駄目、ダメ、だめ、dame、○□×……。子供は萎縮しちぢこまって上目づかいにお母さんを見る。線が神経質になり、思う様に延びてゆかない、気の弱い子は日と共に内向的になってゆく。

 子供が生まれる。初めての子にはお母さんも真剣である。いい子に育てたい、しっかりして欲しい、出来れば優秀な子になって欲しい、子育てが初めての体験であるからお母さんも人一倍熱心になる。駄目、ダメを連発する。見かねて声をかける、“お母さん、大丈夫ですよ。遺伝子の関係で放っておいてもお母さん位にはなるのですから”と言うと大半のお母さんが安心するか、あきらめる。ならいいのだが、中々納得出来ない。

 山に登る。両親が先に登ってしまい、頂上から早く早くとせかすと、子供は脇目もふらず少しでも早く両親の所へ着こうと、見よう見まね同じコースを同じ様に頂上に登る。途中で試行錯誤する事無く、何の発見も感動も知識の広がりも無く、体力的な体験だけを積み重ねる。反対に両親が子供の後から早く早くと背中を急かすと、子供はどう登って良いものか右往左往、歩みを緩め周囲の事や両親の動向が気になり、落着きが無く神経質になりやすい。子供をのびのびとした、強く大きな気持ちの子に育てたいとしたら、その日その日の子供の健康と精神状態を見つつ、その状況に合わせて子供の数歩前に出たり、後から見守りアドバイスする、時には歩を並べ道端の草花の話しをし、遠くの景色を眺め、流れる雲について語る。体力と知識と情感が備われば、放っておいても子供は豊かに成長する。

 国会でメール送金問題が争点となる。

 永田議員が鬼の首をとった様に武部幹事長を追求した。“堀江氏があなたの次男に選挙コンサルタント料として3000万円送金した”四点セットが五点セットになり、いよいよ小泉政権も大づめかと誰もが思う。国民の誰もが“あり得る”と感じたに違いない。しかしその翌17日予算委員会の質疑で永田氏は“どんな条件でクリアすれば真正なものと認められるのか知恵を貸して下さい”と気弱な発言。これで永田議員が明白な確証を得ていない事が明らか!にも拘らず前原代表はメールの信憑性は高いと確信、確証を得ていると重ねて発言。21日には明日の党首討論を楽しみにして頂きたいと国民に公言、その結果がおざなりの質問。国会を空転させた責任は重い。

 ライブドア、耐震偽装、官製談合、BSEの四点セット、他にも議論しなければならない問題は山積している。政治家はどこまで深く物事を考える事が出来るか、総ての場面で危機意識を持ち対処する能力があるか、総ての国民の公平な利益の為に力を尽くす事が出来るか、総ゆる事象の負の状況の中でどこまで健全にする事が出来るか、それらを自己保身から離れて思考、行動する能力を問われる人間なのだ。

 東大出のエリート等の肩書きは何の効力も持たない。初当選以来5年で懲罰動議5回の永田議員は辞職、個人として質問をしているのではなく民主党として質問しているのであるからその内容、人物を全面的に信頼し、しかも自ら扇動していった前原代表は辞任、民主執行部は全員退陣、それをしなければ今後民主党は何も言えない。それがオウン・ゴールで失点した自らを救う事でもあり、民主党を支持した2100万人を始め、総ての国民への責任のとり方であろう。喜ぶのは危機的状況にあった自民党、民主党はこの程度と前原執行部を支持?している小泉政権なのだ。

 トリノオリンピックで唯一金を取った荒川選手を見習うがいい。身を削って努力したその努力の積み重ねの中での平常心。採点には影響しないイナバウアーを自己の作品として演技の中に採り入れる。表面的なものではなく内面の充実としてなのだろう、それが誰をも納得させる演技につながった。

 永田議員、民主の執行部も何も努力をしないで点だけ採りに行った。何度も何度も転倒しながらまだ素晴らしい演技が出来るのですよと豪語する。何の練習もしていなくて出来るはずがあるまい。

 子供に厳しすぎると決められた事を決められた様にしか出来ない人間を創り、甘やかし過ぎると自己にも他人にも緊張感の乏しい自己中心的、危機意識の少ない人間を創る。今国会のメール送金問題はお坊ちゃん議員達の、遠く幼少の育ち方に端を発しているのではないか。

 あなたの子供さんが、将来国会で活躍する時の為に、親子の距離感覚をしっかり見つめて下さい。

 
   
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