青焔会報 2006年1月号

 
   
適当  
米山郁生
 
   

 絵を描く。大切な事は絵を描く時、真剣に取り組む事は当然だが、それよりも更に重要な事は、絵を描かない時の様々な事象への取り組み方、感じ方、言動、判断力等が大切になる。

 物事を適当に見、適当に感じ、適当に処理するくせをつけると、その適当の度合いが自己の性格を造り上げ、これ位でいいだろうとする考え方が、これ位でいいんだという絵を造り上げる事になる。

 まず、ものを見る、正確に見る事を基本とするが、ものとは自分との一方的な位置、関係から見えているのであって自分が見えない部分、知らない部分からの存在も実在としてある。更に視覚的に見えるだけでなく、そのものの本質的、精神的な部分を知って全体像が見えてくる。絵画にとって見るという中には、そのものを知るという行為も含んで見る事が出来ればより深くなる。

 その、ものは空間の中に存在する。常にそのものを取り巻く空間があり、その空間との釣り合いの中で成り立つ。自分との距離感をどう捉え画面の中に構成するか、ものと同時に空間をどう描くかが大きな課題となる。もの、はそのものの存在と共に常に他者との釣り合いの中に生きている。リンゴを描く、リンゴだけを描く事もあるが大きな画面では味気無い。他の果実、カゴ、器、ビン、他の何と組み合わせると効果が増すのか。室内のイスを描く、イスはそのものの形だけでなく人が座る事を目的としている、その重量を支える構成、安定感を保っているか。公園のブランコを描く、たとえ静止している状態を描くとしてもそれは揺れる事もあり、人が座ったり、乗ったり、様々なイメージを連動させ描く事が出来るかどうかである。コスチュームを描く。その像から衣服を取る、そこに裸体が残れば良いのだが何も残らない様ではコスチュームではなく衣服を描いた事になる。

 絵を描く時、何が描きたいのか、必ずその主題がある。中心になるものをどの位置に置くか、その主役を生かす為、脇役に何を選ぶか、その両者をどの様な構成の中に生かしてゆくか。その空(あき)の形が大切になる。ものの形ばかりに気を取られてあきの形を疎かにすると、緊張感の無い気の抜けた絵になる。

 ホリエモン人気が異常な程高かった。プロ野球参入、近鉄球団買収に名乗りを上げて注目された。当時その行為は新鮮にさえ感じた。風貌も悪くはなく、むしろ好印象であった、しかしニッポン放送株取得ではクエッションマークに変わった。多くの企業に対しての強引な合併、買収。多くの人達が汗水流して造り上げたものを株の操作によって買収してゆく。法律上、罪を犯していないとしても人間としての倫理がそれを許さないであろうと思った。昨年の衆院選では“世の中を変えます”と小泉政権追随のノロシを上げた。体制に挑戦してゆく姿が時代の窮児として期待されたのだが、衆院選に出馬するかたちが、私には思想も精神性も無く、只人気取りの場当たり主義に思えた。“人の心は金で買える”マスコミ、芸能界に同化してゆく姿が企業人としても、人間としても失墜するであろうと感じた。

 なぜか。彼が絵を描くとしよう。

 金が総て、発行済み株式に株価を掛け合わせた時価総額世界一を目指したホリエモンは人生のキャンパスの中心、主役に金を描いた。脇役にはそれに同調する人材を添えた。異論をとなえる人物を配置すれば金は生きたかも知れないがイエスマンを構成する事によって決壊する時を早めた。背景には金にあかして買った絵具を塗りたくった。一本一本吟味して選んだ絵具であれば、主役、脇役との関係、バランス、緊張感を創り上げる事が出来るが、株式操作の為に買い漁った企業は業績も悪く、無暗に絵具を塗り重ねて濁るしかなかった。バックのあきのかたちも社会や人間関係に神経を使う事無く、金(かね)色に染めていった。目立つ場を求めて歩み、マスコミや芸能界に埋没、かくして“ホリエモン、想定内のドザエモン”と言われるに至った。

 絵は品格を表わす。品格とは出そうと思って出せるものではなく、その人の持つ心奥の心情が、構成、線、色、描き方に出てくるのだ。企業にも品格がある。金を追えば金は逃げるものだ。

 人に対する誠意が人を寄せる。金はその後の事だ。汗水流さずとも金を得る事も出来る職業がある。しかし、汗水流して働く事が人として生きる基本なのだ。その事をしっかりと子供達に教えてゆかねばなるまい。そしてそれらの人々に対する感謝を、敬意の念を持って始めて総ての企業が成り立ってゆく。ホリエモン、一過性の打ち上げ花火ではあまりにも人生が寂しい。

 芸術も一作一作の出来、不出来だけで一喜一憂するのではなく、いかにして一生、最後まで誠実に制作を積み重ねてゆくかである。

 
   
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