青焔会報 2005年5月号

 
   
代価  
米山郁生
 
   

 文明が驚く程の速さで進化し、社会を発展させてゆく。一つの発明、発見が実用化に繋がると新しいシステムを作り、それを基にした関連企業が延びてゆく。一部の専門家が事象の構想を立て、構築し、具現化されると人々はその中に組み入れられる。いかに利益を追求するかという資本主義的欲求の基に人々がどう関わっていくのか、その度合いの中で様々な問題を提起する。利益を生む為の理論とシステムが出来、実業に移した場合、自然との関係はどうであるのか。人間の能力と健康に対してどうか。それらを侵害し破壊する事は無いのか、造られた商品が人々にとって有益であるのか、そうした問題を解決した上で資本投下と利益との関係、従業員や株主に対して充分な配当を見込む事が出来るのか等を考える事になる。

 人間の思考能力は無限に広がっているが、体力には限りがある。コンピューターが発達しそのシステムが日常的に生活の中に組み入れられる。一部の人間が緻密な能力で機器を操作する。機器は自動的にデータを積み上げる。そのデータに依って人々が動く。人間の体力は感情が安定していないとそのバランスが崩れやすい。人が考えた通りに物事が進む事はあり得ない。常に予測されない事態が起こる。人が関わる以上、それが当然であり事物、事象の絶対という事はあり得ない。永久に安全な、永久に完全なという事は不可能であり、総てのものがいつか朽ちてゆく。であるならばそれを予測する事がより確かな事であるし、予測されない事態という事をも予測される事なのだ。世の中の総ての事は常にゆらぎの中に成り立っている。

 4月始め、その問題を青?展の作品で表そうと考えた。具体的に物象を描くと説明的になる。抽象的に表現したいと思った。同時に様々な視点からもの事を見る為に異質なものを組み合わせて造ろうと考えた。学校や講演の時間の継ぎ目を縫って海へ出かけ、流木を集め石や貝殻を探した。古いもの、壊れたもの、忘れ去られ、見捨てられたものの中に美しいものがある。一つでは美しくなくてもそれらを組み合わせる事によって、美を感じる事もある。波打ち際に太い鉄の棒があった。ふと鉄道のレールを連想した。知人の鉄工所に出かけ不良品の部品を頂いた。和紙を探し、木材を集めた。4月20日、展覧会まで額装準備の日を除くと制作可能な日は20日23日24日。レッスンが終わると教室中材料を広げた。合板を焼き焦がしキャンパスとし、木材を削り左上方に備え、鉄棒をそれにぶつける様に斜めに取り付けた。四角の額の枠を接した部分に配し、鉄の部品を散りばめた。鉄棒を遮って和紙を直線的に張りつけた。直線的にと意図した和紙は、何故か右へカーブし弧を描いた。何度直線的にしようとしてもはがれ、曲線だけが印象づけられた。左上方の木材の上に網や和紙を取り付け、その形態を複合化した。題名は「文明への代価」。25日夜明け、ほぼ作品が出来上がった。その4時間程後に兵庫県尼崎市のJR宝塚線の脱線事故が起きた。当初状況はまるでつかめなかったが、日毎に事故の状況が伝えられた。作品は空から見た事故現場を再現するかの様な構成となっていた。

 搬出の日、午前9時30分〜午後4時迄ウィスティンナゴヤキャッスルである会合があった。青?展と全く同じ時間帯。この会合には責務から休む事は出来なかった。33年間の青?展の中で会場から姿を消すのは初めての事、せめて搬出の時間に間に合う為、30分の時間の余裕を願った。搬出前日、博物館からエジプト展の為、車の出入りが多い、搬出時間を30分延期して欲しいと依頼があった。公共施設でこうした事は初めての事。搬入日、雨の予報を晴れる様に願った事と共に思い通りとなった。

 人には不思議な何かがある。解明出来ぬ何かの真理がある。これは誰にでも起こり得る事、既に起きているが気が付かないのだろう。

 私の机の上に10冊程の抽象画の画集がある。そこにはまるで画集から抜け出て来た様な作品が挟んである。障害を持った子供達の描いた作品だ。4才から6才程の子供達が無心に描いたのだが、世界的に活躍する画家と全く同じ色合い、筆づかいで絵を描く。障害は天分を生かす為のブレーキか。総ての人の中にその天分は息づいている。

 
   
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