青焔会報 2004年5月号  
   
シーソー  
米山郁生
 
   

 イラクに巨大なシーソーが出現した。イラクの人々が長年かかって作り上げたもので、それは見る人々の精神的な構造によって現実的なものにも幻想的なものにも見る事が出来る。そのシーソーの周辺にはイラクの人々が集まり様々な営みを育んで来た。しかしある時そのシーソーの扱い方が悪い!と米軍が介入、シーソーの一方に乗った。軍備を持った米兵の荷重は重く、その下で暮らしていた人々の中に死者が出た。一部の人々は怒り、一部の人々は静観し、そして一部の人は容認した。しかし時がたつにつれ、米兵の乗ったシーソーには武器が取り付けられ、それによってイラクの同胞が多く死に至った。イラクの人々は驚き悲しみ、シーソーの反対側に集まり米軍に対抗した。その下で様々な活動していた米国人も死を招いた。ある時米国の民間人4人が殺害され、その報復に米軍は600人もの女性や子供を含むイラク人を殺戮した。戦場では眼には眼を歯には歯をの論理が横行し、己が殺されるかも知れないという恐怖が極限に達していた。

 暗やみの中、人がようやくすれ違う事の出来る道があるとしよう。引き返す事は出来ない、向こうから人の影が近付いてくる、己の心に曇りが無く懐疑心が無ければ、自分が身を避け相手の人が通りやすく道をあける事が出来るが、己の心に猜疑心が強く恐怖の中にあれば突然大声で叫び護身用の為に準備した武器を取り出し争いを起こすかもしれない。世の中の様々な地に争いが生じ得ない状況であっても、お互いの作為や搾取、恐怖や猜疑心によって戦争を引き起こす原因となる。

 米軍がイラクの人々に虐待を加えた。性的虐待、集団暴行、違法な尋問手法、それはどの時代、どの戦場でも起こり得た行為でもある。人を殺さなければ己が殺されるという極限状態に於いて、冷静に正常に行動するという事はあり得るであろうか。捕虜虐待の行為も軍の上層部の命令であるとか無いとかいう以前に、人間の本能的な部分での異常性でもあろう。であるから戦争という不条理な行為は断じて許されざる行為なのだ。しかも捕虜虐待は世界で問題を提起しているが、それ以上に残虐な行為、殺戮をそれ程問題にしていないのはなぜか。

 日本は米国の要請によってイラクの巨大シーソーに乗った。両端に対峙した双方の要請ではなく米国の顔色を窺っての事。その中心部分に乗る事でイラクの為にもなると説いているが、自衛隊員が個々の判断ではなく命令のままに動くのであるから、米軍の重心が重くなりバランスが崩れた場合、重い方に身を委ねる事になるのだろう。自己責任論が問題になった5人の活動家と家族の言動が多くの人々の論議を招いた。何事も行動を起こす時、何を目的にし、人や状況での周囲への関わりはどうであるのか。どの様な結果を招き、どの様な問題を提起する事が出来るのか。巨大なシーソーの危機的状況の中で個で動く事がどれ程の困難を伴うかも考慮しなくてはなるまい。

 世界各地で活躍する国際緊急医療援助団体"国境なき医師団"の憲章には「自らの任務の危険性を認識し国境なき医師団が提供しうる範囲を超えて補償を求める権利を持たない」と規定。自己の行動に厳しく責務を課している。しかし今回の様な結果を招いた事を国民の命を守るべき政府が自己責任論を振りかざしたり、金の要求を声を大にして告げたりする事自体自衛隊派遣等の他の大きな問題をすり替えている様に思えてならない。又、世間の過剰反応とバッシングは異常ですらある。

 私の友人、知人の中に公明党を支持し活躍する人も多い。人類の平和を願い、人の命の尊さを学ぶ人達。その支持母体が柱となっている公明党が憲法の改正を語り戦争に足を踏み入れてゆく。これまで学会の教義を学び、この教えは絶対であると信じていた人達の思いと全く逆の方向に歩んでゆく事になる。政権を担う自民の巨大船が戦の地に自衛隊を送る。その船に寄り添う様にしっかりと結ばれて公明の船が続く。公明党の幹部が自ら自民船に結びつけたロープを握り船の中では世界平和、生命哲学、人間革命の教義が続く。賢明な会員はすでにその矛盾を感じているのではないか。だが学会で学んでいるその教えを真に自らのものとする為に選挙で誰にも拘束される事なく証明する事が出来るのだ。公明党が生命の教えを守って政権から離れる事が日本を良くし、そして世界に向かって発言する力を持つ事になる。それとも忍耐強く彼らの尊敬する"天の声"を待っているのか!

 "どんな思想、信條にもまして人の命は尊く、何人においても一人一人の命を疎かにする行為を許す事は出来ない。さあもういい加減にそのロープを断ち切りなさい!"と。

 私達は既にシーソーの上に乗っている。どの部分で均等を保つのか。どの部分に視点を向け、どの様な言動によって自己の生命の価値を作りあげてゆくのか。一枚の絵を描く中にもその精神は伝わってゆく。社会の出来事を考える事は人間の事、社会、生命、宇宙、そして哲学、宗教、総てに関わる事であり、絵の中の様々な構成、質を高め、様々な精神性を深めてゆく事になるのだ。

 
   
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