青焔会報 2004年1月号  
   
視点  
米山郁生
 
   

 今年こそはいい年であります様に、という願いが、正月早々ぶっ壊れた。自民党をぶっ壊すと改革宣言した小泉首相が、元旦、靖国神社に参拝した。現代の芸術のマンネリ化に反発して芸術をぶっ壊すと芸術運動を展開した人が、古典主義の作品を単純に模写している様なものだ。

 首相の年頭記者会見で、靖国神社参拝について、それぞれの国の歴史、伝統、慣習がある。日本として戦没者に対する考え方、神社参拝の独自の考え方があり、率直に理解を求める努力も必要だと語っている。日本が日本の事だけを考え、小さな視点、思考で物事を進めようとする事は一国の首相としての力量を疑われる。

 絵を描く時、自分の見ている方面から見えた部分だけを単純に描く、それは初歩の段階だ。ものの周囲の空間を描く。そのものの裏側を探り、見えないものへの問いかけをしてゆく。そのものから想像し発想した部分を描く。一度壊し、又組み直して描いてゆく。形のリズム、色のバランスを考え構成してゆく。無我夢中、一心不乱に対象に迫って試行錯誤する。様々な思考が加わってそのものが生きてくるのだ。一月元旦は誰しもが心新たにして、これからの生き様を問い、心に誓う最も適切な時である。自衛隊を戦地に派遣し、日も経たぬ新年、戦犯を合祀している神社を参拝するという事は何年も何十年も描き込めた大作を、突然汚れ、濁った絵具で塗り変えてゆく様なものだ。

 日本の歴史は、日本だけで造り上げたものではない。特に戦争に関しては、日本の軍隊の総ての行動が他国との関係の中に刻印されている。戦争に限らず経済、文化、宗教、哲学、総ての事象が、単一の国家の中で成り立ってはいまい。北朝鮮でさえ他国との関係を保ち、探っているのだ。小泉首相の論理は絵を描く時、描きたいもの一つを選んで描き、構成もしない。空間も塗らない。これが描きたかったんだよ!と、後は人任せ。描きたいものを描く時、その主になるものを生かす為に、脇になるものをどう選びどう構成するか。色調、強弱のバランス、そしてものと空間をどの様な関係で配置すれば主になるものが心地よくなるのか。いい絵を描く為には、その周囲の空間への配慮が最も重要となる。靖国神社への参拝をする事によって、人々の心にどの様な影を落とすのか、諸外国の人々はどう考えるのか、その考えはこれ迄の日本の歴史の中のどの部分から起こりどこに正当性があるのか。歴史をしっかり勉強すれば子供でも判る事なのだ。

 子供は様々な事を総て的確に捉える力を持っている。成長するに従って大人社会の思考回路が、子供を汚染してゆくのかも知れない。ピカソが一時期子供の絵を集めて学んだと言われる。立体派の作品"ハンカチを持って泣く女"という絵がある。女性の顔に二つの眼が描かれている正面を見ている顔と、鼻が横に飛び出している横から見ている顔。前と横、両方からの視点を一つにまとめている。私の手元に小学三年生と四年生の描いた二枚の作品がある。一枚はポットが描かれている。蓋は上から、胴の部分は横から見、それを一つにまとめている。もう一枚にはタンブリンが描かれている。円形の形に側面はその幅をきちんと保って描かれている。幅を保つ事は側面から、円は上からの視点を表わしている。この二枚は正にピカソの"ハンカチを持って泣く女"の思考と重なっている。小泉首相にはそうした思考は無いのだろう。ピカソの絵が三億円なら、子供達の作品は一億円程もするのだろうか。他にも三才、四才の子供達や、障害を持った子供達の抽象絵画が何点もあるが、その作品と全く同じ様な諸外国の抽象作家の画集がある。人は年齢に関わらず、本能的に総ての事を察知しているのだ。

 イラクの人達を救う事は大切な事だ。しかし小泉首相の手法は手順が違う。しっかり話し合い諸外国とも協調し、皆が納得した上で行動を支えてゆく。他国の反発をかって国益は有り得ないのだ。

 いい絵を描く為には、土台造りが大切だ。大作を描く時、構成を練り、エスキースを繰り返し、下塗りを何度も重ね、濁った色を避け、心を込めて制作する。ブッシュ先生の言いなりになって下塗りに高価な色を無闇に塗りたくり、人々の声に耳もかさず、画面を汚し、時には他人のキャンパスにも色を塗り付ける。そんな事はプロの政治家はしないものだ。

 一月号。これだけは明るい記事を、と思っていましたが時が時だけに、お許し願いたい。

 
   
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