青焔会報 2003年11月号  
   
展色剤  
米山郁生
 
   

 絵を描く。対象のものをよく見る。観察する。一つ一つのものが正確に捉えられているか、ものとものとの関係はどうか、バランス良く整っているか、そのかたちからどの様なイメージを発するのか、かたちとかたちから起こる緊張感はどうか、直線と曲線の関わり方、ものとそのあきの部分とのバランス、かたちの面白さ、大きさと小ささの対比、そして一枚の絵は一つのステージ。ドラマでもある。主役になるものと脇役になるもの、それらをつなぐ舞台、背景の関係はどうか、構図が決まると色彩を決める。ものが持つ固有の色を再現するのか、外から加わる状況、光等を捉えて描くのか、自己の内面の感性感情、思索から色を変えて描いてゆくのか、描こうとする情景、思想に焦点を合わせて色を選ぶのか各々に道は異なる。色彩も、日本画や油絵を3回や4回の描き込みで完成させてしまってはその材料を選んだ意味が無い。色とは顔料そのものであるが、その粒子を繋ぎ、又塗る時に押し広げる役目を持つ展色剤がある。日本画であると煮皮、動物の皮を煮て作り、現在では膠という。油絵は顔料に乾性油を主としたメデュームを展色剤として使う。色を重ねるという事はAという色の上にBの色を塗る、Bの顔料を結合した展色剤に、光が通過してAの色をも見せる。塗った色の厚みによっても異なるが、十回二十回と塗ったその色の重なりの中の展色剤を透過しキャンパスの地にはね返って、塗り重ねられた色相が見る者の眼に戻ってくる。その間に塗られた色の数々は具体的ではないが、その絵の重厚さ、精神の深さとして見る者に感じさせる。水彩画は水によって表面の絵具が溶解するのでその様な塗り重ねは出来ないが、水の量、絵具の濃淡、筆と画面の接触具合、力の入れ方等で微妙な味を出す事は出来る。作品をどこ迄描き込むか、どの時点で完成させるか、明確な答えは無い。それはその人その人の経験と性格、探究心によって自ら決まってくる。

 衆議院選挙が終った。与党が絶対安定多数。野党は民主党の躍進。しかし民主は自民党の議席を奪っての躍進であれば大いに意義があるのだが憲法改制反対、自衛隊派遣反対の社民、共産両党の壊滅的議席減の結果では野党の発言力を弱めただけではないか。

 アメリカがイラクで何をしたか、大義の虚ろな戦争を起こし憎しみを増し、勝利宣言後六ヶ月半経っても完全に終結させる事も出来ず、各地でテロを引き起こしている。世界の世論、各国の対応はどうであるのか、小泉首相はブッシュ大統領と何を語り何を約束したのか、それは国際世論とどうずれているのか、日本はこれまでの歴史の中でどの様な足跡を残して来たのか、その結果としてどうあるべきか、日本の現状、国民生活と経済を見つめて今後の動向はどうであるのか。一枚の絵を描く様に事を問いかけてゆけばその答えは自ずと見えてくるのだ。争いの中で敵に勝つ為には敵の援軍を絶つ事、それは当然の事で、日本がテロの標的になる時が必ずある。小泉首相はその時どう発言するのか、犠牲になった人達にどう言葉をかけるのか。「日本を不沈空母に」と首相在任当時に発言、小泉首相を後押ししていた同胞、大先輩、中曽根元首相を情け容赦無く切る事が出来る。それは国民に対しても同じ事をするのだろう。連立政権の一翼を担う公明党はどう考えているのか。その支持層の多くが福祉と弱者の為の党として自負している。野党になったとしてもその支持は多くなる事はあっても減る事はあるまい。政権の中から改革してゆくという考えは幻想であり詭弁であろう。幹部は民衆に向ける顔と与党自民党に向ける顔をどうつじつまを合わせるのか。

 二大政党を歓迎する声が高い。しかし物事はそんなに単純であろうか。事象は白か黒かではなく、灰色もあればブルーがかった白、グリーンやピンクがかった灰色もある。

 少数意見が後の主流になる事実は多い。

 
   
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