青焔会報 2003年10月号  
   
?炎(焔の右側の旧字に、炎)  
米山郁生
 
   

 2001年9月11日、アメリカ マンハッタンの同時テロは世界を震撼させた。まさかこんな事が起きるとは誰が想像したであろうか。同年7月、秋の展覧会出品作のモチーフを考えていた。空に二つの穴があくというイメージとビルの決壊のイメージが重なった。青?の会報7月号にその素描を載せた。8月27日図録作成の為の会議を東京都美術館にて行った。1999年高速道路の工事現場を制作、その題名に日付を入れた。第3工区7月14日、パリ祭の日に決め、翌年、第二工区10月5日、東京展開催の初日を題名に採り入れた。毎年題名申請〆切りは8月10日、全国の出品者から出品作の図柄、題名等の報告が集まる。それをまとめて8月最終の月曜日に東京でレイアウト後印刷屋に渡すのであるが、役得、毎年その日が私の〆切り日となった。レイアウト作業中に題名を考えた。ビル決壊と空に穴があくイメージからアメリカの高層ビル街が念頭にあった。アメリカの頭文字Aとビル街のイメージからA街区とした。前年に続き日付を考えた。信じられないだろうが9月10日前後を考えた。確定的な日付が見つからず戦争のイメージから8月15日とした。

 東京へは青?の出品者全員の作品をJRのコンテナに積み込んで送る。東京の審査日が9月22日、その一週間前9月15日を名古屋からの搬出日とした。その頃の日程表を今も保存しているが、9月12日から14日迄は朝9時から夜10時頃までスケジュールはギッシリつまっていた。作品完成予定はその前日9月11日火曜日とした。描法はミクストメディア、多種の技法を使って制作。パネルをバーナーで焼きイメージ通り作品に二つの穴をあけた。夜10時頃完成、サインを入れた。その直後、隣の部屋でパソコンを使って作業をしていた周君が部屋に飛び込んで来た。友人からの知らせでテレビをつけた、信じられない光景が映っている…と。

 今年の出品作は人間の業を描こうと思った。

 人の行き様の中で様々な所業は因果応報、必ずその結果を生むであろう。それを火で表わす。人の心、言葉のみならず、行動、思考も総て結果を生む。安易な子育てが少年非行を生み、粗雑な営利主義が事故や破摧、経営破たんを招く。社会や政治が荒廃していると様々な事象、事件、事故、犯罪が多発する。

 7月27日、日本表現派の代表を奈良から招いて出品作品の下見会を開いた。90歳矍鑠(かくしゃく)としたその風貌は生涯を通して信念を貫いた芸術家そのものである。的確な指導、鋭いアドバイスは私の芸術的志向の先を明示しており多くを学ぶ事が出来る。代表のみえる前日エスキースを完了した。画面全体を炎で覆い人間の業を浄化させんとばかりに燃え盛る炎の中 人の残像を封じ込めた。因果応報、人間の心の中の曖昧さ、社会や政治の不安定さの中に恐れと怒り、そして現代の不安を画面の中にぶつけたかった。このままでは人の世は破滅に向かう。…と。

 タテ2.4米ヨコ3.6米。制作の為にこれ迄描かれた炎に関した作品を探した。川端龍子の金閣炎上、香月泰男の業火、速水御舟の炎舞、丸木俊、位里の原爆の図、炎を描いた作品はあまり多くは無い。加えて炎にまつわる祭り、事件、事故、火災等の資料を求めたがそれも少なかった。7月29日描き始めた。その時間帯、午前0時30分から4時頃迄の間に研究所周辺で5件の連続放火事件が起きた。後一ヶ月の間に私の画面の中で火は燃え盛った。ほぼ完成した8月末頃から火に纏わる事故、事件が多発した。エクソンモービル名古屋油槽所のタンク火災、東海市新日鉄の二度にわたるタンク爆発炎上、栃木県の繊維工場、ブリヂストンの火災、三重の山下ゴム工場、RDF貯蔵サイロの爆発炎上、千葉のタイヤリサイクル工場溶鉱炉爆発炎上、多治見の永保寺全焼、商店街火災、奈良新薬師寺の火災、大曽根軽急便立てこもり爆発炎上。北海道での出光製油所タンク火災、まだまだ、多くある。

この不思議はいったい何なんだろう。

 時計は夜12時5分前、妹が体調が悪く電話をしなければと思い起こした。「こんな時間では遅いか。」 数秒後、突然電話が鳴る。今迄聞いた事の無いメロディー。少し聞き受話器を取る。「こんな遅い時間に何。何かあったの?」と妹の声。「えっ、私はかけないよ。かけようかと思っただけだよ!」妹の方でも同じメロディーが鳴り不審に思って取ったのだと言う。同じメロディーが同時に両方にかかる、そんな事は有り得ないと電話局。この不思議は何か。私の睡眠時間は40数年平均3時間。眠りと生との狭間。朦朧とした状態で生きており、四次元の交流地点に居るのだろうか。今は亡き母親が生前そうした不思議な体験を多くしていた。亡くなる前何度も私に言った。「人間の世界には不思議な事が多くある。死後の世界もきっと何かあると思う。私がその世界の事を何かの方法で教えてあげるから。」と。「是非。」と答えた。事実多くの不可思議な事が起きた。

 母親からのメッセージか、人間社会の現実は氷山の一角、その大部分が私達の意識下の中、真実は無意識の世界にあるのかもしれない。

 
   
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