青焔会報 2003年4月号  
   
ナイラ  
米山郁生
 
   

 イラク戦争をテーマにする。戦火の人々の事を考える。あまりにも事の大きさゆえに文章の無力さを感じ筆が進まない。

 何が真実であるのか、我々にとって、新聞、テレビから報道されている事しか知る術は無い。が、それも情報戦によって真実が歪曲されて知らされる。1991年湾岸戦争の時、米国の議会で少女ナイラが涙ながらに証言した。"銃を持ったイラク兵が保育器の中から子供を引き出し床に投げつけ殺した"と。可憐な少女の涙の証言によって米国は大きく戦争に傾いていった。当時のブッシュ大統領も四十日間の間に十回以上もその話を引用、他の戦争派の議員も多くそれを利用したと言われている。しかし少女ナイラは駐米クウェート大使の娘で、ある広告代理店によって作り上げられたうその話。情報操作の為に600万ドルもの大金を使って作ったとされるこの話は当然ブッシュ大統領達も承知しているものであり、戦争によって利益を被る一部の政治家達の陰謀でもあるのではないか。石油利権、戦闘機、戦車、弾薬、ミサイル等軍需産業に関る議員や企業が戦争によって空前の需要を得る事になる。600万ドルの資本投下もほんの一部。積み重ねた長い年月の人々の歴史や財産を一瞬の内に無にし多くの人々を殺傷する。戦争に入りその戦火の状況を報道する事はもの事の本質のある一部を知る事に他ならない。陰で動めく魑魅魍魎の本質を暴く事が重要なのだ。

 日本の首相も米国の戦争に依る利益集団から恩恵に浴しているのだろうか。世界の世論に逆行していち早く戦争への賛辞を述べる。"戦争には絶対反対"と堂々と言える国として世界が認めているのになぜそれが言えないのか。首相は国会答弁でよく"仮定の話には答えられないじゃないですか"と答えていたのを記憶する。政治家はいかに仮定の事柄に多く答えていけるのかにその能力が証明される。現実の問題は役所仕事で結構、現実に起こってからでは遅いから政治家が必要になるのではないか。

"戦後復興にはお金を出すからやっちまえ。"

 馬鹿を言うんじゃない、我々は他人の人生や大切に積み重ねてきた歴史や芸術、そしてかけがえのない人命を殺傷する事に加担するために税金を払ってきたのではない。戦争を起こした当事者が責任を持って復興させるべきであり、他国に尻拭いをさせるべきではない。ましてや、尻拭いさせて下さい等と言う国があるから安易に戦争を起こすのだ。アメリカへの追随は日本の防衛、北朝鮮問題があるから、と言うが、政府は北朝鮮問題に関しても平和的解決を得る為の努力をしていない。常に成り行き任せ、事無かれ主義なのだ。イラク戦争後の世論調査で小泉首相の支持率が上がった。"なぜだ"。

 与党公明党はいのちの党として論陣を張ってきた。その党が戦争を容認する党とスクラムを組むのは"なぜか"。与党の内部から告発する等という主張は詭弁に過ぎない。公明党が野党に出て発言してゆく事が日本の政治をどれ程良くするか。

 絵を描く。ある風景の中に真白な教会が建っている。そのまま教会を描く場合と、教会の後に廻る、そこには美しい草原が広がっているか、断崖絶壁か、人々が団欒しているのか、又は墓地が広がっているのか。その情景を確認してから描くのでは描き方、描き込み方が違ってくる。夕景を描く。昼、夜を知った場所か、夕景を実際に見たのか、写真のみを見たのかでは色の塗り込み方が違う。写真では影を黒くし、実際に夕景を見れば闇の中にも色がある事が判り、昼夜見ていれば各々の固有の色を塗り込んでから夕景の色を乗せてゆく。

 もの事を知るという本質的な部分をしっかり見極めていれば、表面的な部分に誤魔化される事はないのである。

 日本は戦争について堂々と意見を述べるべきである。

 
   
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