青焔会報 2003年3月号  
   
“なります”  
米山郁生
 
   

 喫茶店でコーヒーを頼む。しばらくして店員が"お待たせしました。コーヒーになります"とテーブルに置く。"もうなっとるがね"と名古屋弁。店員が"はぁ"と怪訝な顔で睨んで去る。少し間を置いて"ゆで玉子になります"とモーニングサービス。そうかこれは生玉子なのだ。どんな具合でゆで玉子になるのだろう。間違って"ヒヨコになります"ではないのだ。食堂に入る。定食を頼む。"お待たせしました。定食になりまぁす"と元気が良い。"どれ位待つと定食になるの"意地悪な質問をした。しばらく黙って立っている。意味が通じない。軽蔑した眼でジロリと見て無言で去る。

 どこへ行っても、何を頼んでも"なります"ものを持ってくるが"なったもの"は持ってこない。しかし物はなっている。こんな話は全国各地であるらしい。それが丁寧語なのか、親切なのか、感じ良く聞こえるのか、お客様をからかっているのか。それとも影響力の強いどこかの接客マニュアルの中に組み込まれているのであろうか。あまり堂々と使われていると、私の方がおかしいのかと思ってしまう。

 子供達が学校から試験用紙を持ち帰る。四十点、五十点の採点用紙を母親に、九十点になります、一〇〇点になりまぁすと言って渡すと、お母さんはうれしくなるのだろうか。お父さんが部長になります、高給取りになりますと給料袋を(今は振込か)渡すとお母さんは、何と頼もしい人と新婚当時を思い起こすだろうか。それとも"いつなるのよ"と逆襲されるのだろうか。成せば成る、成さねばならぬ何事も、成らぬは成さぬの成らずなりけり。呪文の様に口ごもり、けむに巻いてその場を誤魔化すか。絵を描く。適当に曖昧に描いた作品を"傑作になりまぁす"と言って見せられても"いや、ならない・・・"

 生涯、作品が一枚しか売れなかったというゴッホが、弟 テオに作品を渡しながら"名画になります"と言えばそれは真実となる。いや真実となった。時代の流れがゴッホの絵を求めたのか、それともゴッホが時代の先取りをしたのか。全精神を作品制作にかけたゴッホの情熱が、時を越えて人々の心を打ったのであろう。まさしく一万から二万円の絵が六六〇〇万円になった、先日のシンワオークションでの出来事が"名画になります"を証明したのだ。その絵に限らず、バブル期のひまわりの作品が一枚五十八億円で売買された実績もあるのだ。

 懐石料理は托鉢に出るお坊さんが、寒さをしのぐ為に懐に温かい石を入れる程度に粗末な料理を食し、空腹をしのぐところから出たものだが、会席料理の畏まった料理の合間に次に出される料理の知らせと問いかけの中に、もてなす心の有りようを重んじる行為から、次は○○になりますと告げる。まさかそこから出たものでもあるまいに。

 言葉は状況によって意味が変わる。ある会合でがっちりとした体格、眼の鋭い紳士を紹介された。紹介者曰く"県警の立派な人ですよ"その人が"お世話になります"と名刺を出された。とっさに私は"あなたにはお世話になりません"と答えてしまった。紳士は"そんな事言わずにお世話になってくれよ"と言いたげだった。

 政治家の公約、やります、出来ます、なります、しますは当選迄の公約で、当選してからは総て言い訳になります!

 イラク、北朝鮮問題、そして経済。大島農水相や政治資金規制法違反の坂井代議士。総てが事象に対して曖昧模糊とした場当たり主義の精神性が様々な問題を起こし、そして起きた問題には真正面から正々堂々と取り組まず、二枚舌、三枚舌で虚ろな言葉だけになりまぁす!

 グループ青焔展、未来につなぐ国際児童画交流展も間近。自称名画、傑作、力作になります!ではなく、一枚一枚心を込めて制作。胸をはって、皆さんを招待出来る展覧会を開催する。その心の有りようによって、いい展覧会になります!

 
   
青焔会報 一覧に戻る
 
   
絵画教室 愛知県名古屋市内外 青焔美術研究所 トップページ