青焔会報 2002年5月号  
   
青焔展  
米山郁生
 
   

 グループ青焔展も30回を迎えた。

 一年に一度、30年の歩みは今にしてみれば瞬時の様でもある。

 絵が描きたい、見て頂きたい、更にいい絵を描きたいという願望が展覧会開催の原動力となる。グループ青焔展はそれに加えて人と人との関わりを感じてきた。生きるという事は己自身の事なのだが 人間、己一人だけでは生きられない、総ての事が他者との関わりの中、自然、宇宙との関わりの中で成り立っている。それを謙虚に受け止める事が大切であり、グループ展開催一つをとってみても多くの教訓を得る事が出来る。作品一点一点が一つの宇宙を作る、一心に描くという事はそういう事であり、それが900点も集まるのであるから展覧会は大宇宙を構成する。惰性や怠慢、羅列や追随ではなく、自己の精神の輝きが原点であると自負したい。

 障害を持った人達との交流もお互いの人間性を高める事が出来るのだ。障害は特別のものではなくごく自然に、どこにでも、誰にでも表れ得るものでありそれは異状であっても異常ではない。異なった状況なのであるが正に対する負の状況ではないのだ。体や精神の一部が通常の状況から何か異常を感じ、それを危険信号として体の中に発生させる、そして障害の状況を作り、障害者とされるだけの事であり、厳密にいうと他者や自然、社会の異常を逸早く感じとって、身を持って体現させているのである。彼らは我々の先駆であり、理想の社会、科学、医学、自然の中での危機的状況を察知する警告者なのだ。人間は種族保存、生命維持の為の本能的闘争心が少者をはいせきしてきたが、生命の進化の歴史は常に少者が本道を歩んで来た。

 絵を描く中で度々質問を受ける。才能が無ければ上手くならないのではないか、と。才能が有っても描かなければ何も出て来ないが絵が好きになれば夢中で描く、何枚も何枚も描いていれば上達し新しい発想が湧き素晴らしい作品が生まれてくる、才能は作られるものなのだ。ピカソが偉大なのは、詩人や音楽家、作家や多くの仲間との語らいの中で他の作品を見、理解し子供の絵や、黒人彫刻を集め、その感受性の中で新しい作品を生んでいった、その努力と感性にあるのではないか。

 入会間も無い油絵を描く方から質問を受ける、“キャンパスはどこに捨てればいいのですか?”“えっ、なぜですか”“納得出来ない絵が沢山あるのですが。”多くの方が3、4回描いただけで次々と作品を変えてゆくという、それは特殊な描き方をする大家の作業であって初心者がその様な描き方を何百枚描いてもいい絵は出来ないと思う。いい作家は時間をかけて絵具を重ね、その試行錯誤の中から自らの作品を造り上げ画風を築いてゆく、その経緯の中から個性を育んでゆくのだ。歴史に残る傑作の殆どが時を費やして作品を生んでいる、ルオーの作品を見るがいい、5年も6年もかけてまだ未完成だと主張する。宝石がなぜ重宝がられるのか、その神秘な色具合、気品のある輝き、その石にしか見られない個性。油絵具は細かい顔料の粒子をオイルで練って作る、2回、3回と重ねるのは水彩絵具と同じだ。何十回と重ねた時、顔料と顔料の間を光が透過しキャンパスまで到達する、又はね返って見る人の眼に写る、その間の重ねられた色の深さ、美しさ、複雑さがその作品を名品として価値をもつのだ。それは宝石を造り上げる様なものなのだ。他に描法を求めたり、方法論を説いたり、試行の為であったり、現代絵画の様に思想、思考を追求したりするのはもう少し後の事。

 とにかく青焔展には多くのヒントが秘んでいる。子供達や障害者の描いた作品、国境を越えて中国やスリランカの子供達、そして仲間一人一人の作品の中に貴方が秀れた芸術家になる為のヒントが隠されているのだ。

 私よりももっといい作家になる為のレールは造ってあるのだ。

 
   
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