青焔会報 2002年2月号  
   
 
米山郁生
 
   

 平和の為の絵を描く

 何をどの様に構成して描き進めるか、絵は舞台と同じだ。一枚の画面が劇を構成する。主役が居る、それを助ける脇役が居る。両者を引き立てる第三者なり背景がある。脇役や第三者は主役を殺す事なく、大きさや色使いに配慮する。それを間違えれば本来描こうとする目的の絵はまとまらない。

 当然、田中外相が主となり野上事務次官は従となる、ましてや鈴木議員は第三者であり画面をぶち壊す様な無礼な言動などすべきではない。作者、小泉首相は常識として誰もが理解している事を無視して、主役、脇役、背景を、同じ大きさで描いたり、主役が死んでしまう様な強烈な色彩を脇役や第三者に塗ってしまわない事だ。日頃俺は芸術家だと自負していた作者は、あまり絵を理解していない金持ちのコレクターの言いなりになり、欲がからまって、通したい法案の為に判断を誤った。真の芸術家はそんな所で判断を誤る事は無いのだが。結果、平和の為の絵が思う様に描けないからと、主役も、脇役も背景も、絵具の乾かない内に安物の絵具で塗りつぶしてしまったのだ。当然画面は後からどの様に美しい色を塗ろうが、その濁った色が上の色を内から鈍らせる。淀んで冴えを無くすのだ。作者小泉首相はどの様な格好良いキャッチフレーズを唱えても、一度塗った色は簡単に消せるものでは無い。むしろそうした濁った色を好んでいたのか!とさえ思わせてしまう。自己保身の為に田中外相を硬迭し三方一両損を演出。三方の内二者は英雄視され、北叟笑んでいるのに、だ。

 雪印が度重なる背信行為、組織ぐるみの不正をした。中には真面目に仕事をしている人も多いであろうに。組織全体が不正をしている中で一個人が反対して不正を正すという事は、強い勇気と精神そしてエネルギーを要する、それをすれば当然孤立化し左遷させられ、挙句に退社を余儀無くさせられる事もあろう。田中外相は正にその事を証明している。会社は怪社となり、企業は奇行を行う。雪印の吉田前社長は升三と名付けられ、吉田升三、吉田升三と呼ばれている内に“よし騙すぞう!”となったのは名前のせいだけではあるまい。これは雪印に限らず他の多くの会社もこの様な事をしているのかと疑心暗鬼になる、土地の名産品が全く別の地域で造られている事がある様に。社会はそうした虚飾に満ち充ちている。

 アメリカのブッシュ大統領が1月29日、一般教書演説で朝鮮民主主義人民共和国、イラン、イラクを“悪の枢軸”と名指しで非難した。世界が協調しお互いを認め合う思潮が求められる中で、世界の平和に逆行する行為だ。隣国を非難されたのを日本が“アメリカの言う通り”“貴方の言う事は何でもやります”ではなく、本質は何か、どうあるべきか、どうするべきかを常に自問自答し、行動しなければならない。子供や若者をそうした人間に導いてゆかねばならない。

 それはたった一枚の絵を描く中にさえ語られている。

 
   
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