青焔会報 1999年11月号

 
   
黒いクレパス  
米山郁生
 
   

 もう忘れ去られてしまうのだろう。

 “日本の核武装を国会で検討する必要がある”西村防衛政務次官の発言は再迭された事によって一件落着。そうした解決の仕方が社会も政治をも変える事が出来ずにいるのではないか。政務次官がそうした考え方を持っていた事は周知の事実。それをあえて小沢自由党党首が推薦したのはなぜか。小渕首相がそれを承知で次官に任命したのはなぜか。そうした考え方を基本的に持っている自由党、自民党と組んだ公明党の意図は何だったのか。

 政界の官僚支配から政治家主導に改革する為の省庁再編が進められている。大臣に次官を設け国会答弁を官僚ではなく政治家がする。当然な事なのだが、その為に選択された人物であり、与党三党は充分西村政務次官の発言の予測をしていたであろうし、政治家を志す者がそれらを考え無しに事を進めたとはとても考えられない。

 各党は選挙の際には国民向けのメッセージを伝え、国民のバランス感覚によって与、野党が緊迫した状況をつくった。選挙が終わるとそのメッセージを翻し国民を欺く。大銀行が貸し渋りをしながら商工ローンに多額の金を廻す。商工ローンと国民との間に様々なトラブルを生じる事を承知しながら・・・。そうした事と大した違いはあるまい。野党やマスコミが騒ぎ、発言の根元的な意図を探らずに“次官再迭”表面的な芽を摘み取ってしまっては事の本質の解決にはなるまい。

 現在の日本の様々な事象は事の本質を見極めて掘り下げ真理に迫って解決してゆくのではなく、表面に出た薄っぺらい部分だけでの処理で終始している様に思えてならない。この思想は近年の教育の中で繰り返し積み上げられてきたのではないか。○×式、二択、三択、点数主義、学歴主義、それらが創造力、思考力を根底としたものでなく記憶力の優劣によって左右されている様に思えてならない。子供を育てる場合、事ある毎に表面に出た異質な芽を摘み取ってしまっては事の本質を外してゆく事になる。

 子供が絵を描く。黒や紫の色を使って暗い絵を描く。母親が“色が汚い、もっときれいな色を塗りなさい”と叱ってしまっては本質的な問題解決にはならない。子供は母親に叱られない為の絵づくりをし、心をかくしてゆく事になる。暗い絵でもいい絵はたくさんある。問題はなぜ暗い色を使うかにある。悲しい事、寂しい事、つらい、苦しい事があるのではないか。その状況を探り語り共に解決してゆけば母親の具体的な指導なく子供は明るい色を塗るのであろう。

 与党三党は様々な重要法案を次々と国会で通し、その力を誇示してきた。強行された新ガイドライン立法、事が起これば日本は戦場になる危険性を持っている。西村政務次官起用後、国民や野党の出方を見て、西村発言に見る核武装を画策しているのではないか。公明党幹事長曰く、“本人が内心どう思っているのか、と 公人の立場をきちっと分けないと務まらない”と語る。政治家は私と公とは別のものではなく一体なのだ。私が公を務めるのであって別々の人格を使い分けるのではあるまい。

 政務次官を更迭するのは子供から黒いクレパスを取り上げただけの事。次から次へクレパスを塗り重ね、汚い色を塗る土壌が残されている。現在の与党三党は重要法案強行採決に見る様にたっぷりと黒っぽいクレパスを蓄えているし、美しい色をも汚くしてしまいかねない。

 
   
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