青焔会報 1999年3月号

 
   
 
米山郁生
 
   

 囲碁は打つ人の性格が出て中々おもしろい。一つの石がそのままの力であったり、十倍、二十倍と他の石を生かしたり殺したりして変化する。今の一手が何十手先に大きく左右し、勝負を決める事もある。

 小学校にあがる頃から、父親が知人と打つ碁を、兄貴と横でよく見ていた。碁盤が空いているとルールも判らないまま、勝手にルールを決めて陣地の取り合いをしていた。子供の頃だから、自然ケンカ碁になる。兄貴の打った場所、打った所にかみつく様に石を打ってゆく。中々勝てない。その内、勝つ為には何をしなければならないかを考えた。部分にこだわるのではなく全体を見る。最後に一手でも勝つ為には途中、又、部分でどう打つのか。常に陣地の相対、勝ち、負けの数を数えてゆく。今打つべき手、後へ廻して良い手、損をしておいて得を得る方法、相手の考えを錯乱させる方法、様々な事を考えるのだが、要は相手より一手でも二手でも先を読む力を身につける事が必要となる。

 絵を描き始めた頃、描くという事も同じ事なのだと感じた。画面全体の構成をみながら部分を組み立ててゆく。地塗りや途中の絵具の塗り重ねが、後になってどの様な効果を出してゆくのか、部分と部分を比較しながら弱い部分を補い、強い部分を調整してゆく、そのバランス感覚は囲碁の進め方そのものと思った。

 絵を描く人達、子供達や一般の教室、総てそうなのだろう。教室全体を常に把握しながら、個人の特性を確かめてゆく。全体が均一にならぬ様、又外れ過ぎない様、芸術に対する信念の巾の中でアドバイスしてゆく。各々の人に対し、何手先を読むのが良いのか、その人が読むであろう手数の少し先を読んでゆく。読み過ぎてもいけない、読み足らなくてもいけない。子供を育てるのもそれに似た所がある。子供の行動、欲求にその時その時言う通りに応じていれば、ケンカ碁と同じ直感的、短絡的、単純な性格をつくる。子供の将来を考えた布石を打つ。碁盤の上は家庭や園、学校、会社、社会、様々な人間模様を垣間見せる。人に対しどこまで思いやりを深くし、先を読んで手を打つ事が出来るのか。

 “育児をしない男は、父とは呼ばない”安室奈美恵の夫のSAM氏に、長男温大君が抱かれている。十万枚のポスター、14日からはテレビで放映されるという。政府が少子化対策の為に約5億円をかけて制作。そういう家庭もあって良かろう。だが子供を想いながらも単身赴任や昼夜懸命に働く父親も多い。育児をしなくても父親の真剣な後姿を見、母親の明るい姿を見て、子供は力強く育つものだ。

 様々な家庭の内側を見る機会がある。子供が荒れている。父親に対する不信感から家庭内暴力へと進む。そんな父子対立の横で、テレビが“育児をしない男は、父とは呼ばない”と放映していたら、子供にとってどの様な悪影響を与えるのだろう。政府は5億円もかけて、家庭に複雑な問題を起こすとすれば、余りにも単純だ。

 男女平等が主張される、女性が社会に進出する。女性に育児の負担が掛かるので子供を生まなくなる。少子化の現象が起こる。その対策がこのポスターやテレビとしたら、あまりにもお粗末。子供を生みながら子育ての嫌いな女性や、親父に反抗する子供を増長させるのが関の山。母親の労苦をねぎらう為に育児を助ける事はあったとしても、一家に二人の母親を作る事は、子供を軟弱にするばかりだ。

 事の次第の、二手も三手も必要な限り先を読みたい。

 
   
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