青焔会報 1999年2月号

 
   
拳万  
米山郁生
 
   

 安城市のある幼稚園で、子供の絵について話をした。クラス毎に5〜6名、気になる子の絵がある。講演に参加していた母親の持参した5才の男の子の絵が特に気になった。お母さんの絵も自信が無く、気弱で生命力が乏しい。御主人の御両親と同居と聞く。“折り合いがうまくいっていませんね”と尋ねる。ボロボロッと大粒の涙が頬を伝わる。子供の絵が神経質で安定感が無い。時によって反抗的になったり、萎縮したりしている。まず母親が強くなる事。日々の行動の中で自信を持てる様な事に眼を向け、心の安定を保つ事、心細い母親の様子が子供にそのまま伝わっていると説く。

 講演後“もう少し聞きたい”と職員室に尋ねてみえる。子供を近くに待たせている。母親と二言、三言話した後、子供を呼び、本人の描いた絵を見せて“Kちゃん、これきれいだね、しっかり上手に描いてあるよ。これは何”と絵の中に関心を向ける。絵は好き?“うん好き”すかさず、おかあさんは好き?と聞くと、お母さんの前で即座に“嫌い”と返す。お母さんの眼に涙がたまる。誰が好き?“おばあちゃんとおじいちゃん。おばあちゃんと寝るの”次に好きな人は?“お父さん、お母さんとは寝ないの”と言う。兄弟は?“Mちゃん”いくつ?“二つ”Mちゃん好き?“あんまり”Mちゃんは誰と寝るの?“お母さんと二人で”少し間をおき、眼をじっと見つめて低い声で“さっき先生がね、お母さんに聞いたら、お母さんKちゃんが大好きだって、‘Kちゃんと寝たい’って言ってたよ”お母さんが横からたまらない様に“お母さんKちゃんと寝たい!”と加える。Kちゃん驚いた様に母親の眼を見つめ、間をおいて“うん、寝てあげてもいい”おばあちゃんはどうする“うん断っちゃう”よし指きりげんまん。Kちゃんは力一杯、小ちゃな小指を私の小指にからませてきた。一部始終を見ていた園長さん、“K君がきちんと会話の出来る子だったなんて!”

 内向的な子供と話をする時は、その子よりも話すリズムをゆったりとする。少し低い声で話し、子供に安心感を持たせる。返事のしやすい質問をし、うなずくか首を横に振る位で返事が出切る様な問い方をする。目線を子供の目線に合わせる為に座り込む、しゃがみ込む。その子に全面的な愛情を持って話しかける。大人が支配的であったり、命令的、威圧的になったり、愛情を持っていないと子供は心を開こうとしない。

 世の中の多くの事は何でもない、ほんの僅かな思考のずれがY字の様に支点から広がり離れてゆく。時折立ち止まって見直すのが良い、考え直すのが良い。Y字の一方から迂回出来ればいいのだが、それが不可能ならためらわず原点に戻る事だ。人の心の揺れ具合、輝き具合はその人の顔、動作、態度で明確に見えてくる。人の心は柔軟性のある穏やかな円がいい。硬い真丸な円よりも少しばかりゆれて、時には楕円になり又円に戻る。その柔らかさがいい。純粋で欲の汚れや濁り、くもりの無い色がいい。どんな色も試して見れる大きなパレット付がいい。生命力があって輝いているのがいい。その形や色や活力が人間の最も大切な、その人の生命そのものなのです。子供は自分に与えられた遺伝子の中で、ごく自然に自分色の固性を育みたいのです。親や家庭、社会がその子の心に障害を作らない事が、子供達の心を豊かにしてゆく事なのです。

 窓越しに、Kちゃんとお母さんがしっかり手をつないで、運動場の向こうに姿を消していった。

 
   
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