青焔会報 1998年6月号

 
   
甚六  
米山郁生
 
   

 会報の原稿を書く。書こうとするテーマは多々あるのだが、その一部が不確かであったり、判らない事に出くわす。曖昧な事を書く訳にはいかないので中断、調べる時間を要し、揚げ句の果てに棚上げ、つい発行が遅れたりする。お許し願いたい。

 最近、講演をする機会が、多くなった。参加する人数、テーマに依って内容は様々だが、“子供の絵から心を読む”のテーマでは参加者は子供の絵を持参。会場でお母さんに十分程度の“らくがき”をして頂く。山、川、木、家、太陽、ヘビ、名前、7つの項目を組み合わせ、八つ切りの画用紙に絵を構成して頂くのだ。子供さんの絵とお母さんの絵を並べて、親子の家庭内の情景を予測、愛情や躾について、子供の精神的な安定とやる気を起こす為の話をする。絵に表れるこころを読むのだが、その描き方は実に様々でおもしろい。

 画面に対して、描くものの大きさ、線の質、強さ、弱さ、色の明るさ、暗さ、寒色、暖色、色の塗り方の丁寧さと質、乱暴か神経質か、気弱か、ゆったりしているか、仕上げにもっていく為の進め具合、どこで筆を置くか、その完成度、それらを総合して性格や日頃の言動を見る。子供が神経質で小さく気弱な絵を描く。お母さんが大きく、乱暴で強い絵を描けば、日頃の躾が厳しく子供は精神的に萎縮し自分のもっている力を充分に出せないのではないか。お母さんの絵が安定していれば、兄弟や友人関係の中、その他の事で気弱になる原因を作っているのではないか。兄弟の絵があれば、その相関関係も予測する事が出来る。躾というものは、母子、相互のこころのバランス関係の良さが大切と思う。

 厳しすぎてもいけない、優しすぎてもいけない。

 車を運転していて思うのだが、子供が信号灯による横断をする時、自分の側の信号しか見ていない子が多い。青になれば左右も見ずに、即、渡り始める。特に集団の時はその傾向が強い。決められた事を決められたとおりにする。もう一つ余裕をもって思考をふくらませる事は出来ないのか。信号交差点の信号は、片側が赤になった時、交差する一方は、即、青にはならない、同時に赤になる時間が僅かだがある、その時間が安全を保つ時間なのだ。お母さん方が子育てに一生懸命になるのは望ましいが、一つ間違えると、信号交差点の赤、青のスイッチを即座に切り換える様な状況を招きかねない。

 “総領の甚六”という言葉がある。長男、長女は弟、妹よりもおっとりしている。という意味なのだが、生まれつきそうした性格をしているのではなく、最初の子、真剣になるお母さんの、子育てへの神経質さが“総領の甚六”をつくりあげるのだろう。

 長男、長女は親からの愛情、教育、躾を一身に受ける。溢れるほどの量を受けるので、それに対し、どう受け止めて良いのか戸惑う。結果、間を置いて反応を鈍くして受け止める事が、自己の精神を保つのに、最も適してくるのだ。第二子の子供は、そうした兄、姉と母親との関係を見て育つ。どうすれば叱られないか、うまく関係を保つにはどうすれば良いか、兄や、姉を楯にして、母親への愛情の量を自ら調整するのだろう。第三子になると、母親も少し疲れてくる、いや、余裕が出てくるのだろう。“もう、勝手にやったら”と自由奔放の子に育つ。それが最も自然体なのではないか、と親が思い始めた頃には“甚六さん”は我が道を行く、という年令に達している。親の欲、や願望が子供の心を歪め、横道にそらせやすい。

 絵画も同じ。いい絵を描こうとすると考えすぎたり、力み過ぎたりせず、気持ちを楽にして、自分の出来る力を自然体で出す。

 無為、無我、無心、夢中がいい。

 
   
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